道の真ん中にいる僕

リスペクトがつくる共生の社会…。

数年前から使っているIOT機器をiPhoneを介して声で操作して、エアコンや部屋のライトやサーキュレーターのオンオフなどを操作できるスイッチボットというアプリと機器を使い始めて2年以上が経過する中でMacのPCからもアプリをダウンロードできることがわかって更に生活が楽になっています。
iPhoneのSiriでの文字入力の精度も少しずつ上がっている中で、言語障害がある僕の言葉でも以前よりは確実に聞き取って文字として表してくれるようになっているのを実感すると同時に、使えば使うほどその人の話し方や声の質などをAIが理解してアップデートしているのを使っている中で実感しています。
僕が子供の頃に観たSF映画で、頭の中で思ったことや考えたことを理解して手を動かすことや言葉で伝えることをしなくても音楽を流すことや部屋のライトの明るさを調整することが、本当に現実として可能になるのはそんなに遠い未来ではないと思うと障害を持つ僕のような人にとっては便利になっていくのは確実で、一方で人間関係が希薄なものになっていくことが僕としては少し寂しく感じる時があります。
パソコンやスマホの操作を目や声で自由にできることでやりたいことが実現することは良いと思って更に進んでいくことを願いながらも、どこか人肌が発する温もりや暖かさを感じる機会が少なくなっていくのは本当に良いことなのかと、たまに考えさせられることがあります。スイッチボットハブ2の写真

 

10日と11日は障害を持つ人の団体やご家族から成り立っている団体の集まりとイベントに参加させていただき、10日の夜に行われた集まりは僕が住んでいる市町村の職員の人といろいろな障害者団体や当事者との懇親会で、福祉課の部長をはじめ職員の方に対して困っている事を伝える会では本来ないはずにも関わらず様々な意見が飛び交っていました。
それぞれの立場や置かれている状況で困ることがあるのは当然で、それらを声に出すことは僕も賛成で同じような姿勢を取っていかなければ自分たちの生活を保つことや、施設で働くスタッフの給料や生活を守っていけなくなってしまうので、そういったことは避ける意識を持つことは当事者やそういった人たちに関わる者として必要な意識だと思っています。
10日の懇親会で僕が感じたのは、困っている事を伝える時に相手に対してリスペクトの気持ちを持った上で感謝しつつ感情的な言い方は避けて、論理的な言い方で代替案をこちらからいくつか提示することができれば相手にとっても建設的な話し合いに繋がって、実現不可能なことも実現できるようになっていくのではないかと僕は改めて勉強になりました。
障害者に限らず、生活していくことでなんらかのことで困ることは少なからずみんな必ず持って生きていると僕は考えているので、その上で譲り合いや助け合いと相手に対してのリスペクトと感謝の気持ちをどのくらい持てるかが、人としての器の大きさと物事を今以上によくしていくために必要なことの一つではないかと自分にも言い聞かせながら気をつけていこうと強く思いました。
その肩書きがあっても一人の人間として存在している以上は、仕事だから本来は助けないと思っていることがあったとしても一つの事を助けてしまうと他のことや人たちも同じように助けないといけないようになってしまうので、全てのことや人を救える世界が本来は理想ではあるものの財源や人数に限りがある現実の中で否が応でも助けられないことや人が出てきてしまうのは仕方ないと僕は考えています。
それを避けていくためには、もっとたくさん勉強をして自分や仲間を救えるだけの知識や力を身につけていくことに時間を割いて強く優しくなっていくことがすごく大切で、僕も含めてもっとその点を強化していくことで国や市町村からの助成金や補助金をはじめとする年金手当などを利用しなくても、個人の生活や団体や施設として運営していけるようにやっていかなければいけないと僕は考えています。
少子高齢化が進むこの国において税金を納める母数が年々少なくなっていく中で、頭から人や市町村をはじめ国がサポートしてくれるだろうといった考えや思いを持つよりも、自分たちで生きて生活して助け合う事を頭において物事を進めていくことが、特に障害福祉においてはこれからもっと必要な考えになってくるはずだと僕は考えています。
そういった考えを現実的に行っていくためにも、国が定めている重度訪問介護において就労時や通勤通学の時に利用できないといった決まりを無くしていくことができれば、現在働くことができない障害を持っている人が仕事が行えることで税金を納めるようになっていけば、国や都道府県ひいては市町村の財源が少なくても今よりは良くなることは確実なので早急に法改正を進めていく必要があると僕は考えています。
インクルーシブを進めていくのであれば、こういったことも同時に早急に進めて行かなければ言葉だけの世界になってヨーロッパやアメリカなどのように、障害を持っていても希望する仕事をすることや学びたい事を学ぶようにはならないと僕は考えています。
障害を持った人のことを考えてこれらのことを進めていくのではなく、障害を持っていてヘルパーにサポートしてもらうことで仕事をすることが可能になったり、自分が希望する大学などで学びたい事を学べるようになったりすることになれば、きっと障害を持っていない人にとっても良い社会に繋がっていくと僕は考えています。
靴とフットレストが写っている写真

 

以前から書いているように他の人と比べた時に、僕は食に対して本当に興味がなくていろいろなものを食べても美味しいとは感じるものの、味覚が鈍感な気がします。
細かい味の違いやいつもと違った調味料を使っていても、それに気付かずに食べることがあって“活動するために体内へ入れている”といった感覚で一つの作業として食事をとっています。
誰かと一緒に食べることに対しては、心から楽しめて食事を通していろいろな話をできるのでそういった時間は有意義であると考えているのですが、一人で食べる時間はあまり有意義ではないと考えています。
こういったことを人に伝えると、変わっているねとよく言われることと両親は食事が好きなことから自分でも面白いなと思う時があります。

魚のムニエルのようなもの

 

黒い背景の上に赤く塗られた丸があって、その上に銀色の星形がありその上に黒字でmy、青い字でactionと記されたロゴが中央に

My Action General producer・Performer Sugiyama.

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