“強い信念”とは…。

最近おうちにいて、ついつい食べることが増えてきてしまうのと意識的に食べていることもありだんだんweightが増えてきてしまっています。
風邪を引かなくなったというメリットと介助者が僕の身体を抱えるのが少し大変そうというデメリット(?)の両方の間でいろいろ蠢いています。健康のことを考えれば少し蓄えていた方が身体を壊した時に早く治りやすいことはあります。その一方で、パフォーマーとしての見た目が自分の中で許せないという女子的な考えがあります。
weightが違うと、声の出し方にも変化が出てきているのを感じています。あまりweightが低いと太くて長く声を出すことが難しく、逆にweightが多いと肺活量も増えるせいか声が長く出せるようになっています。
身体の変化を楽しむには、stay homeの期間を有意義に使えるチャンスだと思っています。いろいろと試行錯誤して自分にあったweightを探してみようと思います。

おうち時間がありすぎてブログに書くことがそんなにないのですが、この1週間でコロナウイルス感染者が徐々に減ってきているなかで僕が懸念していることがあります。
この1週間のデータは2週間前のものをさしているので、“今日の感染者”と報道されていてもそれは2週間前の今日のものであるということを理解していない人が多いとTwitterやFacebookなど、介助者と話す中で感じます。
本当に自分で考える力・考えたことを突き通す信念が今の社会に生きている人に足りない力だと感じました。
“自粛警察”といったことがそれを物語っていて、自分はおうちで過ごしているのに誰々さんは外に出ているとすごく低レベルの考えを持った人が多いと僕は見ています。みんなで我慢しているのだからといった一体感のような前向きな考えや行動はとても素晴らしいと思いますが、“自粛警察”のような人の生活に干渉することはみんなの輪を崩したり一体感を壊すものなのですごく見ていて気分が悪くなります。
仮に強い信念を持ち合わせてそういったことをしている人であればまだ良いのですが、“みんながやっているから…”と自らの行動に信念がないことは絶対にコロナウイルスよりも質の悪いものだと思います。
信念がある行動や言動には悪意や人を傷つけることは含まれていないと少なからず僕は考えていて、どんなに人から揶揄や罵倒されたとしても自分なりの強い意志があれば、自ずと行動や言動にその気持ちが出てくると思っています。

 

僕が伝えたいのは、もっと自分を持って周りの意見や社会の風潮に対して簡単に流されないでいられることです。
“人より目立つことをする”とか“社会に対して何か還元をする”とか大それたことではなく、もっといろいろな人と話をした上で話の内容を自分の中で整理し思考することが大切になってくると思います。
ましてやこれからAI技術が猛スピードで発達し“人間がやっている仕事の大半はAIに奪われる”といった予測がされている現代で、以前のブログに書いたように僕ら人間が唯一AIに対抗できるのはクリエイティビティの部分だと僕は思っています。そこに強い信念があれば周りの人にもAIにも流されたり取り残されたりはしないと思います。
もちろん気持ちの面だけではなく、技術・ロジカル的な観点からも物事を捉えて思考し行動し続けることができる人が、これからの社会で生き残れる可能性は高く、なにより生きることが楽しいと感じられると僕は思います。
おそらくコロナウイルスが完全収束することはないとWHOも12日の時点で発表していて僕も同じ考えを持っています。
その上で人間しかできない思考とAIの方が優れている技術を取り入れていくことと、もともと僕らが持っている大事なトコロ=信念は持ち続けて生活スタイルを変えざるを得ないと僕は思っています。

 

こんな偉そうなことを書いている杉山健太郎の信念は何だ?と思う人に向けて。
簡潔に言うと、自分や周りの人が楽しく感じられることを追求していきこの世界から“障害”という表現から“表現者”“個性”に変えていきたいと思っています。
それは実現可能なことだと思っています。もしかしたら僕が生きている間には無理かもしれませんが誰かが僕の意志・考え方に共感してくれるだろうと確信しています。
だからこそ毎日生活する中で信念を持ち続けることが大切だと考えています。

 

 


My Action General producer・Performer Sugiyama.

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