人のベースとなる教育
仕事で行っている市内の小学校の先生と今週火曜日にウチでお酒を飲みながらいろいろな話をした。
その先生とは4年(?)くらいのお付き合いで、先生が勤めている小学校で共生という言葉を大事にしている。
その流れで「障害があっても社会で一緒に生活している」という考えの元、私の他に視覚障害当事者や精神障害当事者の人が学校へ出向き、生徒がこちらと一緒にできることを行ってきた。
かくれんぼ
鬼ごっこ
合唱
私がこの活動を通じていく中で、教育に対する視点が増えたりや考え方が変わったり様々な変化をもらってきた。
「教育」と聞くと、机に向かい教科書を使って決められた科目の勉強をするというイメージがほとんどだが、(自分も以前はそのイメージだった…)この4年間で「教育に対する考え方や視点が変わったり増えたり」したことは事実
もちろん、うえのように教科書を使っての教育はとても欠かせないと思う。
とともに、その学校がある地域(コミュニティ)で生活している人との関わりをもつことはすごく意味があることだと思う。
私は子どもたちと関わるなかで大事にしていることがある。
こども扱いをしないで真正面から向き合う
ことである。
なぜ、これを大事にしているのかなあと考えた時に自分が高3だった時の担任の先生がそういった対応をしてくれて、それがとても嬉しかったのだと思う。
話は火曜日に小学校の先生と飲んでいた時に戻る。
「杉山さんの活動をもっと広めていったらどう?」
と言われた。
すごく嬉しかった。(この時点で梅酒のビンを1人で飲みきっていてほろよい気分だった)
文部科学省が決めている「教育指導要領」の中に障害を持った人が教育に関われるシステムを作りたいなと考えていたからである。
教育に関わる と聞くと堅苦しいイメージになってしまうけどそうじゃなくて、「国語・数学・理科・社会・英語」のように「ユニバーサル」みたいな感じで、「手足が動かなくて困ること、目が見えなくて困ること、耳が聞こえなくて困ること、人の感情が読めなくて困ること」のように、
「障害を知るきっかけ」
になるようなことを今後したいなと思っている。
そんな話を先生としながら美味しいお酒を飲んで酔ってました(笑)