本当に必要なもの…。

今週は特に大きなイベントもなく、気候の変化が大きいせいもあって体調が安定せず自宅にいました。
2日に行われたM−1を観ていて時代が好む漫才のスタイルが変わってきていると思いました。
優勝した「霜降り明星」の漫才のスタイルはスピード感があって、一発ギャグを数珠つなぎにしたような感じで、僕はそんなに面白く感じませんでした。
あのスタイルで、5年、10年後に残っているかという点と、漫才師日本一を決める大会のチャンピオンとしては少し早すぎるのかなぁと思った。
それと同時に審査員の役割やプレッシャーは相当重圧なものだと思い、いっその事「テレビを見ている視聴者の一票を取り入れる」システムを導入すれば、少しは平等性を保てるのかなと感じる。
そういったシステムがあることで、視聴者も一緒に参加しているという一体感が持てると思う。

 

12月8日はザ・ビートルズのジョン・レノンが自宅前でファンに打たれて亡くなった日でもあるし、日本がアメリカの真珠湾攻撃をした日、ある意味平和について考える日なのかなと思っています。
僕自身、戦争を経験したものでは無いのでいくら言葉や文章で、戦争は絶対にしてはいけない!と言ったり書いたりしたことで何の説得もないと思う。
国同士の政治的いざこざで何百人何千人何万人単位の人の命が一瞬にして無くなってしまうと考えると、何ともやるせない気持ちでいっぱいになります。
一言で「平和」と言いますが、何をもってどこの視点から見た時にその言葉が持つ本来の意味が表に出てくるのかと思う時があります。
こんなことを書くと変かもしれませんが、世界の均衡を保つためにはある程度の犠牲の上で成り立つものなのかもしれません。誰かが死ぬことで、他の誰かが生かされたり。幸せと感じる為には一方で不幸と感じる人がいたりとか。

理想論の上では、皆が手と手を取り合い一緒の空間で幸福を感じられる世界が1番良いことだと思います。ですが、僕はそういった考えを現実的にするにはかなりの時間と一人一人の思いやりが求められてくると思います。
もう少し平和について書きたいと思います。
よく聞く言葉で平和ボケというものがあります。大抵戦争を経験した方が口にする言葉です。もちろん目の前で空襲になって自分の家族や知り合いが全身を焼かれ、もがきながら死んでいった人たちを目の前で失う経験をした人のことは絶対に否定するつもりはありません。
先にも書いたように、戦争を経験していない僕にとってみればいくら経験談を聞かせてもらったり本などで読んだとしても、それはあくまでも人が経験した情報であって本当の意味での恐ろしさや、平和に対してのありがたみは理解できていないのかもしれません。
1年に1度や1週間に1回、少しでも平和や戦争について考える時間を意識的に持つだけでも、いろいろなニュースやものを見る見方が変わってくるのではないかと思います。

そして、今週木曜日にSoftBankの電話回線がストップしてしまい、全国的に電話が繋がらないということがニュースにもなっていました。
僕は家にいたので、Wi-Fiでネットは見れたのでそんなに不便さは感じませんでしたが、テレビのニュースでも流れていたように119番に電話しようとした人が、このトラブルが原因で電話が繋がらなかったり仕事で電話を使う人にも大きな影響が出ていました。
その日の深夜には復旧し原因も解明されました。僕が感じたのは1人1台スマホを持っているのが当たり前になっている近年で、当然スマホが普及したおかげで僕たち障害者にとって助かることは山のようにあります。
新聞を取らなくてもスマホ1台でニュースが読めたり、離れている友達や家族に簡単に連絡が取れたり自分が知らない情報をSNS上にアップすることで、そのことについて知っている人が情報をくれたりと家の中にいても情報が水のように入ってきます。
このブログもそうですが、スマホやネットがなくなったらMy Actionの情報や僕の想いや考えを伝えるのにすごく時間や手間がかかってしまいます。

手軽に相手に自分の気持ちや想いを伝えられる一方で、本当に伝えたいことなのか。と僕は考えさせられました。
スマホやネットは我々人間が作ったもので、最大級の発明だといっても過言ではないと僕は思っています。
しかし、本来持っているはずのゼロから物事を創造する力や、自分の目の前にいる人に対し適切な言葉選びや伝え方、すなわち「人間力」がだんだんと欠けてきていると感じます。
具体的な例でいうと、小・中学性が自殺するというニュースが多々あります。それを見ていて僕は死という選択肢を簡単に取らないでと思います。
いろいろな要因が重なって「死」が身近になっていると思います。スマホがあれば良い情報・悪い情報の両方とも入ってくる中で、簡単に死ぬ方法の情報も手に入れられるわけですし動画サイトで誰かが殺される動画が簡単に見れることで、命の尊さに関する情報が入ってきづらいのかなと思います。
僕が思う「人間力」はまだあって、先にも少し書きましたが「人を思いやる力」もこの一つだと思います。
僕も含めていえることですが、スマホでLINEやメールで簡単に自分の想いを伝えられるようになったのは良いことですが、直接顔を見て言う「ありがとう」とLINEやメールで書いて送る「ありがとう」では、言葉の持つ重みや相手への伝わり方が全く違うと僕は思います。
直接会う→電話→メール・LINEと右になるにつれて便利さや手軽さはアップしますが、伝わり方や相手に対しての印象の強さは右に行くほどダウンしていくと思います。
何がいいたいかと言うと、学校で教わる勉強だけしっかりやってさらに地域にいる人との直接的な繋がりを持っていれば自然と精神的に強かったり、正しい伝え方や言葉を使い分けることができる人間になると僕は思います。

 

 

My Action General producer・Performer Sugiyama.

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