あっという間に10月も過ぎていく中で、急に気温が下がっては上がっての繰り返しで身体がそこに対応することが難しくちょっと気を緩めると、カゼを引いてしまいそうなので十分に気をつけながら睡眠と食事を適度に摂っていくことが大切だと改めて感じています。
そんな中でもどうしても食に対して鈍感な僕は、いつも決まったものしか食べていなくて絶対に栄養が偏っていると自分でも分かっていながらも、食べたいものがそもそもそんなに無いので何を食べて良いのかわからないです。
物価高でコンビニのおにぎりも140円とかの値段で、以前と比べて確実に上がっているのを実感しながらそこに対してお金を使うことが僕の中ではあまり価値として高くなく感じ、28日のスタエフでも話したように、他人の行なっている活動や売っている商品を買うことに価値を感じています。
この前の衆議院選挙の党首討論を見ても、小学生の学級委員よりも低いコミュニケーションが交わされているのを感じて、これでは若い人が政治に関心を持たないのと国内ではなく海外で生活や仕事などをした方が良いと思う人が、これからますます増えていくと感じました。
僕の生活や活動を支えてくれている介助者は、日中の8時から17時と夕方の17時から22時と夜の22時から翌8時までの3交代でいろいろな人が入れ替わり来てくれている中で、労働基準法の8時間以上の労働の場合は1時間の休憩を設ける事といった決まりがあります。
それはすでに以前からしっかりと理解していたのですが、常に身体の姿勢を変える事やトイレやスマホ・パソコンなどの操作を介助者に頼まなければいけない僕の生活の中で、きちっと1時間の休憩時間を設ける事がなかなか難しい中で、いろいろと工夫して行かなければと思っています。
僕は1時間の休憩が必要ないと思っている訳では無く、介助者がお昼ご飯を含めた1時間の休憩の時にどうやって時間を潰していくかを考えて行かなければと模索している中で、外に出ている時は介助者がコンビニでご飯を食べている間に、気になったお店を1人で周る事で時間を潰せます。
一方で、おうちにいる時の時間の潰し方がまだ明確に無くて、例えばYouTubeや Netflixなどの動画を見て時間を潰す事やインスタやFacebookなどでライブ配信を行う事や、ぼーっと瞑想する時間に充てるといった方法をとっていく事が、今のところ思い付く手段です。
障害で自分の意思のもとで手足などの身体を動かす事が出来ない中で、介助者にサポートしてもらって生活していく以上はしっかりとその事に向き合って、介助者が1日でも長く働いてくれる工夫や配慮を、僕がこれから今の様に介助者のサポートを借りて生活や活動して行く中で避けては通れない所だと思っています。
一方で、労働基準法の取り決めを完全にガン無視して僕の率直な思いや考えを書くと、食事を取ることは欠かしたらいけないと思うと同時に1時間では無く30分で充分なのではといった思いがあって、さらに喫煙者はタバコを吸う時間に昼食の1時間を取られると同じ時給で喫煙者と非喫煙者では大きな差が出てくると思います。
このブログを実際に書いて居るのも介助者で、例えば視線入力やボタン操作出来るデバイスを使って僕がパソコンやスマホを自分で行なえる環境を整えて行く事も大切だと考えると同時に、横に居てくれる介助者にお願いした方が早いといった現実があるのは間違いない事ですごく楽に感じるのが率直な感想です。
話を戻すと、20歳から今まで介助者のサポートを受けて生活をして18年が過ぎる中で世の中の働き方が変わったり、いろいろな便利で使いやすいデバイスが増えて来ている中で僕も少し生活を変える時期に来ているのではと、ポジティブな意味で考えさせられている中で僕も介助者もお互いに気持ち良く働く事や生活する方向に持って行けたらと思っています。
あとはこの障害福祉にずっとある人手不足の課題を、クリアして行く方法や関心を持ってもらう事に時間と考えを今以上に使って人手を増やして安定した収入や休みを確保出来る事を知ってもらう事が、今働いてくれている人への負担を分散させていく事にも繋がっていくのではと僕は考えています。
具体的な方法としては、まず世の中にある福祉に対してのネガティブなイメージを取る事が優先的では無いかと考えているので、絵本や歌やTikTokなどを通じて実際の生活を届ける事で少しでもポジティブなイメージに転換して行く事と、実際に働いている人のリアルな声を届ける事などを行っていく事が必要だと僕は考えています。
いよいよ発売まで1ヶ月を切った小説 ひとつの空 の予約注文が全く増えていない現状を、どうやって打破して少しでも1人でも多くの人に読んで貰えるかを毎日の様に考えながらスタエフで告知は欠かさない様に続けています。
実際に発売した後に購入者が増えるパターンも今まで経験しているので、そんなに焦る必要はないのかなと思いながらも今までも同様で作品を届ける時には同じ様な感情が湧き出てくる中で、作品製作をやめれば楽になると分かっていながらもどこか依存症に似た感覚で作品を届けていく間に次の作品の事を考えている自分がいます。
きっと世の中の表現者と呼ばれる人達の共通の想いなのかなと考えながら、この活動を選んでしまった時点でその思いから解放される事はほぼ半永久的に訪れる事はないのではと逃れ様のない事を今日も明日も、これから先ずっと行っていくのだろうと思いながら目の前の事に取り組んでいます。
My Action General producer・Performer Sugiyama.