表現しないと…。

21日は、参議院選挙でした。僕はしっかり「大事な一票」を投票してきました。
毎回選挙の時は期日前投票を行うことが多いのですが体調を崩していたこともあり、今回は当日投票でした。
ありがたいことに投票会場となっている小学校の体育館への入り口には、スロープが設置されていて合理的配慮のもとスムーズにバリアを感じずに投票できて、当たり前ですがとても助かっています。
今回の選挙では障害当事者の候補者が多く目立ち残念ながら全員当選とはなりませんでしたが、ALSの障害を持った舩後靖彦さん、脳性麻痺の障害を持った木村英子さんをはじめ、本格的に障害当事者ファーストの風が国会に吹くと期待をしています。
僕としては、障害の有無問わず重要なことは具体的にどのような政策を行動で表現していくかだと思います。それが具現化されればさらに障害を持った議員が当たり前になっていくと思います。

投票をした後に、2日前に公開された新海誠監督の 天気の子を鑑賞してきました。
内容には触れませんが前回の君の名は。もそうですが、とにかく映像の細部まで細かく綺麗でいてストーリーも老若男女問わず必ず一箇所は共感できるものになっていました。
2時間ほどの上映時間でしたが僕としては観ていて一度もダレず、気がついたら号泣&全身が鳥肌でした。日曜日の午後ということもありほぼ満席で、ストーリーの終盤ではすすり泣きの音が次から次へと
それまでの僕個人のフィジカルやメンタルが崩れている原因が、この天気の子を観たことで理解できたのと「そのままでいいんだよ。」と語りかけてきている気がしました。
去年から続く酷暑・地震・大雨、異常気象が続く現在だからこそ天気の子という作品を通して、新海誠監督が表現してくれたのだと感じました。
そしてなによりパフォーマーとして感じたのは、やっぱり歌や曲が持つ力は強力で計り知れなく自分の中にある思いや考えを表現できるものだと改めて好きになりました。
きっともう一回、天気の子を観に行きます。

22日は小学校へ交流授業を行いにいきました。
現在交流させてもらっている6年生とは去年から約1年間の時間を断片的ですが、一緒に過ごしてきました。
5月に行われた運動会の組体操では生徒から感動をもらい、今までの交流授業の中でも僕には無い考え方や視点を教えてもらってきています。
この日は、先生から杉山さんと交流をしてきて新しく学んだこと・自分が変わったこと・これから行動していきたいことの3つを画用紙に書いてねというような流れになりました。僕としても少し難しいテーマだと感じましたが「正解があるわけじゃないよ。自分の思ったことや感じたことを書いてください」と先生が付け加えていたので、だったら大丈夫かなと思いながら生徒の様子を見たり声をかけたりしていました。
発表の時間になり、「誰か発表してくれる人はいる?」と先生が問いかけても生徒は静かなまま。発表の時間の前の休憩時間では教室の中で仲良く遊んだりしていて賑やかだったのが嘘のようにシーンとなっていました。
僕は「授業が終わって帰る前に先生へ伝えてもらえれば」と言いましたが、発表することも大事だと考えていました。
先生が「誰か発表してね」と何回か言っていると1人、2人と発表してくれました。僕の心の中には、なぜなかなか手が挙がらなかったのか。テーマが難しいのか、発表するのが恥ずかしいのか、と疑問が湧いてきたので直接聞いてみました。
二つの問いかけに対して意見が出なかったので、これ以上生徒に詰め寄っても返って責めていることになると感じ、最後に「来年から中学に行くことになるし、高校を出たら社会で生きていく時に、自分の意見をしっかり伝えていかないと社会は変わらないし、何より自分が損することになるからやめたほうがいいよ」と伝えました。
学校を出た後に、本当にあの言葉を言ってよかったのかと考えました。先生からは「しっかり言ってもらったほうが絶対生徒はわかってくれる」と言葉をもらいました。

今まではたまに学校に来る楽しい車椅子に乗った人のようなイメージが生徒の中にあったと思います。
それが今回の生徒に対し言った言葉で、もしかしたら先生じゃないのに、何であんなに言われたんだ!と思っている生徒も少なからずいるかもしれません。きっといると思います。
僕だけの思いで振り返ってみると、今まで交流授業を約5年ほど行ってきた中でおそらく初めて教育者へとレベルアップできたのかなと先生はもちろんですが生徒に感謝しなければいけないと感じています。
僕が言った言葉の意味を理解する時がくるのが、もしかしたら明日かもしれないし5年後10年後になるかもしれない。もっと言えば理解されない場合もあるかもしれない。けれど言葉にして表現していかないと伝わらないことは確かだと思いました。

23日は東京都初任者研修が茗荷谷で行われ僕はサポーター役として受講生の方と一緒にディスカッションを交えながら、障害者向けのケアプラン作りを行いました。
僕が去年まで働いていたところから依頼をもらい参加させていただきました。受講生の方は障害者施設職員・知的障害者向けの作業所の職員など多岐にわたる方がいました。
毎回出される事例をもとに仮想のケアプランを作っていくのですが、現在働いている職場での経験やその人の固定概念が時に視野を狭くし柔軟性のある考えやアイディアがなかなかでないのが毎回この研修で見えることです。
そのこと自体が悪いというわけではなく、大事なのはケアプランを作っていく先には、障害を抱えている人に人生が左右される可能性があることを意識できるかだと思います。
それはケアプラン作りに限ったことではなく、市役所の職員が相手の相談にのる上や、学校で生徒と向き合う上でも同じようなことが言えると僕は思っています。
相手に寄り添った支援や教育がこれからより一層求められてくると思います。

24日は市役所へ行き10月からの重度訪問介護時間数の交渉でした。
交渉に行くと毎回、「以前の職場へ戻る気はないですか?」と常識では考えられないようなことを聞かれその都度「常識をご存知ですか」と自分なりに丁寧に説明をしています。
今回は6月の後半に短期入所(ショートステイ)を経験しての僕の思いをワーカーへ伝えその上で10月からの時間数について話しました。
これは僕の考えですが、好きで短期入所や施設生活を選んでいる障害当事者はいないと思います。もしかしたらいろいろな事情でやむなく施設を選択している可能性はかなり高いです。
勘違いして欲しくないのは僕は、施設がなくなったほうが良いと言ってはいません。選択肢を増やしてどんなに重度な障害があっても自己選択・自己決定という表現を取り上げてはならないと強く思います。
24日にワーカーとの交渉の中でも伝え、さらに当事者ファーストの心を持って相手の気持ちや立場になれば、「前の職場へ戻る気はないですか?」などというすごく他人事として受け止められる言葉は出てこないはずと言いました。
「明日から手足が不自由になって同じようなことを言われたらどう思いますか?」とワーカーに問いかけたうえで、「きっと僕についての案件を1日でも早く片付けたいのでしょう。僕にとっては人生を左右することなのでしっかり向き合ってもらわないと困ります。」と感情的にならず伝えました。
時間数だけで言えば、減らされたら減らされたでいろいろ工夫して生活を保ちレベルアップする方法はあると思いますが、ここで僕が折れてしまうと障害を持ってこれから社会に出ようとする人の生活できる水準が下がってしまうと考えています。
カッコつけているように感じられるかもしれませんが、今心身ともに障害がない人がいつ障害者になるかわからないと考えてもらえれば、僕がやろうとしていることは間違ってはいないと思います。
こうしてブログで表現することで、障害者がおかれている現状を知るきっかけになればとプライベートなことまで表現者として伝えさせていただいているつもりです。

 

 


My Action General producer・Performer Sugiyama.

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