ラランド・江頭2:50・キングコングの西野亮廣などのお笑い芸人の方のYouTubeをよく観る中で、先週あたりからレインボーのジャンボたかおさんのチャンネル“レインボー ジャンボたかおの食うチャンネル”に気がついたらハマって、自分のご飯を食べながらジャンボたかおさんが実家でお母さんが作った料理を食べている動画を観まくっています。
僕のように少食や食に興味がない人ほど他人が食事している動画やその中で交わされている会話に興味を持ちやすいのかなと思いつつ、ジャンボたかおさんのお母さんが作るゴハンの量が一般的なものと圧倒的に違くて、本人がそれに気がついていないところがめっちゃ面白いです。
僕の母親が作るゴハンも美味しくてたまに食べさせてもらう中で、スーパーマーケットにあるデリカコーナーの手作りとはまた違った美味しさでなんで同じ手料理なのに、自分の母親を含めて全国のお母さんが作ったゴハンの美味しさは一味違うのかと思いました。
動画を観ながらそれにつられていつもであれば一袋しか食べない焼きそばを2袋食べて、後からお腹いっぱいで何も考えることができなくなってシアワセを感じながらも少し後悔を抱きながらも、お腹いっぱい食べられることやそういった環境に自分がいることは当たり前ではなくシアワセなことだと考えさせられます。
フードロスで回収された食品は本当に食べ物を必要としている人の元へ届いているのかと考えたり、世界で貧困国とされている場所で生活している人や子供たちに食べ物が行きとどいたりするには何をしたらいいのかと、ジャンボたかおさんのチャンネルの動画を観ながら考えていました。
自分が40歳になったということも大きく関係しているのかはわからないが、最近介助者が休憩している間にひとりで外を歩いている時によく人から声をかけられてサポートが必要かと聞かれることが多く、とても嬉しく感じるとともに以前と比べて増えたのは何故だろうと考える時がある。
この前のブログで触れたように“ノーマライゼーション”や“ダイバーシティ”の考えが広がっているのがカタチとなって現れている証拠なのか、ひとりでいる僕の姿が助けを求めているように見えるだけなのかわからない中で、どちらにしてもサポートが必要でなくても人から声をかけてもらえるようになったのは障害を持っていても社会に溶け込んでいる証拠なのだと僕は感じています。
もちろん僕よりもさらに重度障害や知的障害で大きな独り言や奇声を発している人に対しては同じようにはなかなかいかないと思う中でも、時間はかかってしまうにしても重度障害があっても家族や介助者のサポートではなく、そこにいる人が助けてくれる社会に向かっていることは間違いないと思うのとそうあって欲しいと願っています。
普段からよく使うスーパーマーケットに介助者の付き添いがなくてひとりで行っても、こちらから店員の方に声をかければ欲しい食材を取って会計までサポートしてもらうことがほぼ普通になってきていて、とても心から感謝しつつも自分が行動して得た結果であると考えています。
よく障害者に対して配慮がなされていない店舗や施設に対してネガティブな声を上げている人を見かけることがあるたびに、その行動自体は必要なことで社会を変えていくことに繋がると同時に僕も意識しているのは、相手に対して感謝の気持ちと“やってもらって当たり前”ではないと言った考えを常に持ち合わせるようにしていないと傲慢に変わってしまうと思います。
これは本当に難しいところで少しの差で相手や社会に対して与える印象が変わってくるので、すごく繊細に意識して言葉を発することやこういったブログで表す時に気をつけていかないとただの“ワガママ”と捉えられて、社会を良くしていく行動が逆に捉えられて自分たちの立場を厳しいものに変えてしまうことに繋がると僕は考えています。
“脳性マヒがある杉山健太郎”と“杉山健太郎という男は脳性マヒがある”のふたつは大きく違うと僕は考えていて、自分は後者を普段から意識して障害があることを自分だけの都合で使わないようにしているつもりですが、人によって“障害”を利用していると捉えられても仕方がないことだと思う中で自分では“障害”を悪く使わないようにこれからも気をつけたいと思っています。
先ほどのスーパーマーケットの件のようなことがもっと増えていくように自ら行動していくことと、そういったことを理解して受け入れて歩み寄りをもってくれる人がさらに増えていけば、今よりも社会は障害のある人を含めて様々なバックボーンを持った人が生きやすく生活が快適と感じる場所になるのではと思っているので、そこに向けてもっと自らが行動してちょっとずつでも変えていければと考えています。
上辺だけの“ノーマライゼーション”や“ダイバーシティ”ではなくてしっかりと理解した人が増えて、そういった考えのもとで法律や建物や人間関係を作っていくことが本来の“ノーマライゼーション”が整った社会のカタチであると僕は考えて作っていきたいと思っています。
ここ1週間以上必ず10分以上YouTubeライブ配信を毎日のように行っていることがルーティーンのひとつになって、ショート動画やブログと違ってテーマは仮に作ってもその時に思ったことや考えたことが自然と言葉として出てくることが、ものすごく楽しく感じています。
一方でこのブログを含めてYouTubeショート動画・ライブ配信・TikTok・絵本発売に向けての宣伝などの複数のことを1日に必ず行っている中で、ここ最近になって介助者がお昼休憩の時にボーっと動画を観ていると思ったら気絶するように寝ていることが、本当に多くなってきているのでしっかり休まなければと思いながら寝ていないなと。
ひとまず6月1日の絵本発売まではYouTubeライブ配信を毎日のように続けて、必ず宣伝を最初にした上で今しか感じられない気持ちをコトバにして残しておくことがきっと後になって何かの気付きに変わって、また新たなプロジェクトのスタートきっかけに繋がるのではとワクワクしています。

My Action General producer・Performer Sugiyama.