今週はいきなり僕が伝えたいことや、感じたこと・考えていることを書いていきたいと思います。
今更書くことではないですが、僕は“障害者”であるということは紛れもない事実であるとともに、自分では“障害者”ではないと心から思っています。
みんながよく言う、“障害は社会が作ったもの”ということではなくて、僕が自分に対して思うのは“表現者”であるということです。
もちろん介助者の手を借りないと、食事・トイレ・入浴・パソコンでブログなどを書いたりすることはできないし、むしろ“できないこと”の方が多くてどうしようもないヤツだと思っています。
それでも、僕“にしか”できないことの方が上回っていると考えていてそれを行動していく中で結果として残していくことが、少なくとも僕に与えられた“役割”だと理解していてそれを全うしていこうと思っています。
その中できっと、「なんでアイツ一つのことに絞って集中しないんだ!」「アイツは一体何がしたいんだ!子供のようなことをして!!」と思われたり、僕が居ないところで言われていることでしょう。
僕は、福祉×エンターテイメントの力を信じていて、それがあれば障害の有無や老若男女問わずこの世界にいる人が笑顔になる方法・ツールだと確信しています。
少なくとも僕が2010年のEXILE VBA2に参加して落選はしたものの、本気で挑めば障害があっても想いは伝わるもので、尚且つそこにエンターテイメントを使えば伝わりやすいと僕は経験から確信しています。
約10年前よりSNSやあらゆるテクノロジーの発展により、自分から情報を発信することにおいては“障害があることは言い訳”だと僕は考えています。
だから、もっといろいろな人が自分なりのアイデンティティのもとで、社会を変えていくという方向へ向いて欲しいと僕は思います。
冒頭からかなり熱くなりましたが、今週もKentaro’s Roomを2回と歌ってみたを一本発信させてもらいました。
ただ、ルーティーンをこなすのではなく動画一本にも一切力や手を抜かずに“死ぬ気”で臨むことを心に決めています。
動画を撮り終えた後は毎回のごとく身体中が痛くなり呼吸が荒くなっていますが、“生きている証拠”を感じてとても気持ちがいいです。
自分が、誰に・何を伝えたいのか届けたいのかを毎回しっかり決めてから撮り直しせずに行っています。
そのため観ている方によっては僕の言葉が聞き取れない場合もあるかもしれません。
もちろん編集する際にテロップを入れるなどの工夫はして、さらに話す時にゆっくり丁寧に強調するところは声のボリュームを上げたりといった、自分なりの工夫をしているつもりです。
今行っている工夫や編集で十分とは思っておらず、編集し終わった動画を必ず見返して次に生かすポイントを把握した上で、自分の喋りも編集テクニックのレベルをこれからも上げていこうと考えています。
他のYouTuberが行っているコンテンツを、そのまま僕が行っても面白くないと自分で考えていて、やっぱりこれまで経験してきたことに基づいて“障害をもって暮らす者”の目線で“杉山健太郎”というフィルターを介して試行錯誤しながらコンテンツとしてアップしていこうと考えています。
僕の中では“杉山健太郎”が一つのコンテンツだと考えているので、そいつが持つ味を他のコンテンツとどう組み合わせたら、さらに良い魅力が出せるかだと思っています。
15日に配信したKentaro’s Roomでも話したように、現在は週一回のペースでnoteを介して小説を投稿しています。
小説を書く理由は動画を観ていただきたいのですが、僕の中のもう一人の“杉山健太郎”がどういった結末の小説にするのかが僕にも分からず今から楽しみです。
こう書くときっと理解してもらいづらいと思いますが、これはいくら言葉で説明しても経験した人でないと100%理解できないと思います。
その上で無理やり例えて言うと、家族に見せる顔と友達に見せる顔が違う。
天才しか分からない感覚だと思います笑
頭で考えて行動するものではなくて、感覚分野が大半を占めている点です。
とにかく、作品で結果を出すことにウエイトを置いていき2022年4月頃に完結する目処を立てて今も小説の続きを書きながら、日曜日にはnoteに投稿しています。
多くの方に読んでいただきたいので、記事をシェアしてもらえると犬が尻尾を振るように、杉山も声を高くして「ありがとうございます!」と言います笑
My Action General producer・Performer Sugiyama.