公園を見ている僕の後ろ姿

もっと考える力を…。

完全に朝晩の気温がガクンと低くなって寝ている時に窓を開けていると寒く感じ、少し前であればタオルケット一枚で十分だったのが少しづつ寒く感じてきて気をつけないと風邪を引いてしまう可能性が高くなってきました。
あと2日で9月も終わり今年も残り2ヶ月しか残っていないと考えると、ついこの前で「また暑い日が来るよ」と言っていたと思ったら「今年の冬は寒いのかな」といった会話が増えてきている中でも季節の移り変わりや時間が進むことを感じています。
夜になって窓を開けていると鈴虫らしき鳴き声が聞こえてきて、やるべきことがたくさんあるのにも関わらずついついゆっくりしてしまいYouTubeをだらだらと見てしまい後悔するはめになってしまいます。
そういった中でも小説と向き合ったり、毎週火曜日にアップしているKentaro’s Roomで話したいことを決めたりした上でサムネを作ったりといろいろと自分の中にある想いや考えをアウトプットするためにそれなりの準備が常に回ってくる中で、完全オフの日を作ることが自分でできないのでそこを上手くコントロールしていかないとハイクオリティのものを作ることに繋がっていかないと考えています。
黄色く咲いている花が写っている写真

 

27日にアップしたKentaro’s Roomでも話したように、”みんな違って、みんないい”だとか”みんな取り残されない社会づくり”などが声高々に叫ばれいてるものの中身を見た時に言葉と実態が一致していないと僕は強く感じます。
例えば”みんな取り残されない社会づくり”を実現していくと考えた時に、収入やQOLを一定のものにしたときに僕は絶対そこに対して”反発や反対の声”がQOLや収入が高い人からでると考えています。
それらを踏まえて、”みんな取り残されない社会づくり”を綺麗事に済ますことなく実現させていくためにはどういった方法で今の社会のシステムのどこを改善していくべきなのかを議論しながら行動へ移していくべきだと考えています。
僕の中にあるアイデアは、今の国会議員に定年制を設けて70歳を過ぎたら議員を辞めてもらい衆参問わず25歳から立候補できるようにしてこれからの日本を担う若い人中心の政治にしていき、今も議論していて動いていないネット投票を早く導入して少しでも政治に対し関心をもってもらい”自分ごと”としてより透明度のある政治にしていきアメリカのようにフェス感覚で楽しく参加できるようにしていくべきだと僕は考えています。
言葉を選ばずに僕の考えを表すと、20代の一年と70代の一年を比べた時に優先すべきは20代の人たちだと僕は考えていてこのコロナ禍で新しく大学へ入ったけど経験できなかったキャンパスライフや新社会人としての一年の間で経験できることが失われたことは、僕はもっと何かしらの形で補償すべきだと考えています。
勿論70代になって新しく経験することは必ずあると思う一方で、それまでの人生の中で苦しい思いや苦い思いでと共にバブル経験やそれなりに楽しいこと経験されてきていると毎月一定の年金を受け取って現在は暮らしているので円安で物価が高くなって生活が苦しくなっていることを踏まえても、僕はこれからの日本の未来を引っ張っていく人たちにとって良い環境や仕組みを中心に政治が担っていくべきだと考えています。
そういったことに関して心の中では、「そうそう!そうしていくべき!」と思っている人はいるのにも関わらず”同調圧力に屈して”なかなか声を上げることができなかったり、SNSの中だけで終わってしまったりしてしまうのはすごくこれからの日本の将来にとってもったいないと感じるとともに、個人レベルで見た時にはよくない風景だと僕は感じていて”周りに合わせる”ことは大切であると同時に自分はどうしたいのかという”意思表示及び強い信念”を持つべきだと考えています。
駅を背中にして写っている僕

 

先日23日から日本列島を縦断していった台風15号の影響で、今なお静岡県で瓦礫などの撤去や断水などが続いているのにも関わらず27日に行われた安倍元総理の国葬についてのニュースが優先されてしまい、本当に困っている人たちの現状が報道されずさらにコロナ蔓延の恐れがあるため他県からのボランティアを公募しないといったことが行われています。
僕としては国葬に対し反対ではなく安倍さんが行った政治内容は別として約8年もの間、総理大臣として賛否はあるもののいろいろなことに対し取り組んでくれた人を見送ることに対して”国葬”といった形にしなくても亡くなった人を偲ぶ気持ちはどんな人であってももつべきことだとあった方が良いと僕は考えています。
それを報道することにウエイトが傾いているのと国としても総理偏りすぎていて、自然災害で生活するのに困難な人たちに十分な支援や報道をしてないことが僕はとてもあってはならないことだと考えています。
“今を生きている人”がなるべく不便を感じずに一定の生活を保つ役割が国や政治にはあって、どのような状況であってもその役割をしっかりとカタチへ変えていき一人でも多くの笑顔をつくっていくことが必要だと僕は考えています。
そういったことは一個人であってもできることが必ずあると思うので、自分に何ができるのか・何をすることが支援に繋がっていくのかを自分のこととして考えていけば、千羽鶴を送ることや要らないものを送りつけるといった”自己満足を埋める行為”はまず思いつかないはずで行動には起こさないと僕は考えています。
何に対しても言えることだと思いますが、まずは自分の頭で考える癖をつければよいだけだの話だと僕は考えています。
台風15号の被害を受けた静岡の様子

 

 

黒い背景の上に赤く塗られた丸があって、その上に銀色の星形がありその上に黒字でmy、青い字でactionと記されたロゴが中央に
My Action General producer・Performer Sugiyama.

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