9月も終わって今年も残りあと2ヶ月になったと思うと、すごく時が流れるのが早く感じると同時に夏はほとんど何もできずに過ごしていたことが唯一の後悔となって、ミュージカル えんとつ町のプペル大劇場版を観に行ったことは最高の思い出となっています。
海へ行ってお酒を飲むことを想像していたのにも関わらず、あまりにも暑さで身体の調子を壊してしまったこととクラファンをスタートしたこともあってなかなか時間を割くことができずに、あまり遊ぶことがなく時間が過ぎていったことに対してちょっとだけ後悔しています。
ここ最近の夏の暑さは異常で、あまり遠くへ出かけることができないのがだんだんとスタンダードになっている中でおうちで過ごしていても冷房を使いながらも体調管理をすることが、年齢を重ねていくごとに難しくなっていることを身を以て感じながらこれからどうやって夏を過ごしていくかを対策していかなければと思っています。
残り15日と迫ったクラファンを行う中で、本来であればたくさんの人が集まる場へ出向いていくことをしたいと思いながらも介助者の入れ替わりが激しくなっていることや、やるべきことがあまりにも多すぎることなどを言い訳のように並べてしまっています。
実際、先週から新しい解除者が二人入ってくれたこともあって日常生活において必要な介助を少しでも早く覚えてもらうことと、外へ出かけることに必要な介助をこれから伝えて覚えていってもらわなければ僕の行動範囲を広げることができなくなってしまいます。
いろいろな人が介助者として入ってきてくれる嬉しさと同時に、僕との熱量の差を感じる中でたまにモヤっとした思いを抱くことやせめて介助時間中は全力投球してほしいと勝手な思いを抱いて無意識のうちに相手へ求めてしまっていることは良くないと捉えています。
生まれて39年間自分で歩くことや物を持つことをしたことがない僕にとって、体力の消耗度合いが想像でしかわからなくて自分が感じる疲れと手足を自由に動かすことができる人の疲れの違いを、理解と想像が一致していないことが一番の今の僕にとっての課題なのではないかと考えています。
僕の場合は、全て言葉で伝えて介助者にやってもらうことにおいての疲れを感じることはあってもきっと自分の身体を動かすことからの疲れは違って、仮に僕が中途障害で自分で身体を自由に動かすことができた時期があればきっと違ったのだろうと思いながら、介助者に対して寄り添うためにはどうしたらと悩むことがあります。
そこに加えてせっかちな性格が余計に邪魔をして、あれやこれやといろいろなことを行いたいといった気持ちがとても強い僕にとって限られた時間(死)の中でできるだけひとつでも多くのことを達成したいといった感情から、ついつい飛ばし過ぎて急に倒れることが今までもあることは反省しなければと思っています。
クラファンにおいても、本来はもっと多くの人が集まる場へ積極的に出向いてアピールして支援してもらえることに対して時間と力を割くことができればといった想いと同時に、それらを行動に起こすことができないことに対してのイラつきや自分を変えることができないこともまた情けなく感じているところです。
できないことや言い訳をいくら並べたところで、目の前の現状が変わることはないのは当たり前であって行動していくことで現状を変えて自分の中にある負の感情を消していくしかなく、今の僕が置かれている生活や現状の中で関わってくれる人に対しても最低限の気遣いをしつつ目的を達成するために時間と力を使っていくしかないと考えています。
僕が尊敬している人のことを考えた時に、ある意味で身勝手であると共に自分がやりたいと思ったことや達成したいことに対しては他の人の気持ちなどお構いなく進んでいた姿を思い出すと、それぐらいの気持ちでないと自分の限られた時間を有意義に使って生きることはできないのではないかと思う時があります。
それでも関わってくれる人に対しては必要な範囲での配慮をしつつ、その配慮が遠慮になって自分がやりたいことに対して自ら制限をかけてしまわないようにバランスをとっていくことは、本当に難しいことだと同時にそういった力を今以上に自分が身につけていく必要があると強く感じています。
生きていく中でいろいろな人と関わることが多く、自分と考えや相性が合う人と出会う可能性はかなり少ない中でいろいろと工夫しながらお互いに嫌な想いを抱くことなく、なるべく心地よく時間を過ごせるようにしていくためにはどうしたら良いかと、コミュニケーションを交わす以外の方法で何か手段はないかとぼんやりと考えることがあります。
一番は相手のことを知ることで、自分のことを知ってもらうことに繋がっていくのではないかと考えているので何気ない話を交わすことや共通の好きなことを探して、それらに対して気楽に話せる関係性を作っていけることが理想的なのではと19年間今の生活をしている中で、なんとなく一つの答えに近いことに辿り着いています。
YouTubeで、コラボトークといったコンテンツを行う中で今まで様々な人にお話を聞かせていただく機会を作ってもらっている中で、自分にない視点やその人なりの経験から新しく考えさせられることが多くあって毎回勉強になっています。
他のYouTubeにある動画のようにテロップをつけることは一切せず、収録した物をそのままアップしてしまっている中でも視聴回数はそれなりに回っているのを見る限りコラボトークが持つ可能性や力はまだまだありそうだと感じています。
同じ脳性麻痺といった障害でも、人によっては手を自由に動かすことができる人がいたり、僕のように自由に動かすことができない人もいたりするのでコラボトークを通して障害によってもできることが違うことや、人によって多種多様であるといったことを知ってもらうきっかけになればと考えています。
My Action General producer・Performer Sugiyama.