日を追うごとに朝晩の寒さが厳しくなって、徐々に暖房を使う時間が長くなっていくのと同時に電気代が気になってしまいながらも風邪をひくことで活動ができなくなることよりも、健康であり続けることの方がとても大切だと思いながらなるべく使うようにしています。
2年前ぐらいにエアコンを新しいものに変えてもらってから、年に一度は掃除業者に頼んでしっかりとエアコンの掃除をしてもらおうと思いながらタイミングを逃して、来年の春頃にはお願いしようかと考えているのですが、きっと他のことを優先して後回しになりそうな予感がしています。
他にも台所のガスコンロ周りやお風呂場などが結構汚れているので、一度きちっと業者にお願いするか掃除道具を揃えてお掃除をする時間を設けるかをして綺麗な状態にしなくちゃと思いながらも、そこにかける時間とお金があるならば他のことに使いたいと思って後回しにしています。
外出する際に使っている電動車椅子のメンテナンスを年に一度行って、実家に六輪の電動車椅子を置いてあるのですが、日本の歩道は舗装していない箇所が多く六輪だと地面と設置している面積が多いことから衝撃をものすごい多く吸収してとても走り辛く、10年くらい前に作った四輪の電動車椅子を修理しては使ってとすごく大切にしています。
スーパーマーケットや商業施設などの床はフラットになって、六輪の電動車椅子でもスムーズに身体にも負担がなく走りやすいので使い勝手が良いのですが、住宅街や人混みが少ない箇所や道になると舗装されていない箇所が多いのと少しの段差に対しても力ずくで上がることができないので、とても日常生活の中では使いづらいと感じます。
駅や商業施設にあるエレベーターのボタンも足元で押せるように工夫されれば、車椅子の前輪で押すことや荷物を持って手が塞がっているお子様を連れているお父さんお母さんにとっても使いやすいのではと思う一方で、昔ながらの“足で物事を行うのははしたない”といった日本独自のよくわからない風習も関係しているのかなかなかそういった視点を持つ人は少ないのではと考えています。
以前僕がワシントンへ行った時に宿泊したホテルは、入り口の横に手で押すタイプと足で押すタイプの2種類のボタンでドアを開けることができたことで介助者や他の人に頼まずとも、一人でホテルの中へ外から入ることができたので日本でも同じようなものがあれば本当に楽なのではと感じます。
他にも駅の改札を通る際にICカードを改札機にタッチしなくても、バックやポケットにICカードやスマホを入れたままの状態で改札を通れるようになればいろいろな人にとって使いやすくなって、車椅子を使っている僕からすると手を使えないこともあって改札機にタッチすることがないだけでものすごく便利でスムーズに移動がしやすくなるので期待でワクワクしています。
日々の生活で様々なIOT機器が誕生して生活する中で様々なシーンでサポートすることが確実に増えている中で、人と人との関わりが気薄なものになっていくのを感じる中でコミュニケーションの形が今までのものと変わって、僕らが当たり前だと思っていることが今の20代の人にとってはそうではないものや場合があるのですごく難しいと感じています。
○○ハラといったものが増えて、良かれと思って言葉をかけたつもりでも受け手が少しでも不快に感じた時点で関係性が崩れてしまう可能性が徐々に増えていることを考えた時に、僕が20代の頃に当たり前のように仕事帰りに遅くまでお酒を飲んでいた風景も、定時を過ぎても職場に残って雑談していた時間も今ではあまり見かけることはなくプライベートタイムを優先することが当たり前に変わっているのは、個人的には少し寂しく感じます。
もちろんプラベートタイムを優先して充実させることを否定するつもりはないのですが、必要最低限のことだけでコミュニケーションを済ませてしまうのは関係性を深めることにおいては決してプラスなことではないと僕は考えているのですが、今はそういった時代ではないと仕方なく理解するようにしています。
介助者との関係においても、今の生活を始めた頃と今とでは関わりかたは確実に変わっていくのを感じて、以前は介助者が定時で終わってプライベートで僕の部屋でダラダラと話すことや一緒に食事を食べるといったことがあったのですが、今は僕と介助者の年齢差もあってなかなかそういったことが少なくなっているのはものすごく寂しいです。
だからといって僕から誘うと断りづらく○○ハラになってしまう可能性もあるので、こちらからはあまり積極的には誘わないようにしながらも相手のことを見ながら関係性を作った上で誘えそうな雰囲気の人には軽く声をかけていけたらと考えています。
バリアフリー機器が増えて障害があっても一人で出来るようになることはとても良いことと思うと同時に、僕はやっぱりステレオタイプなのか直接の人との関わりがもっと増えていくことのほうが良いと考えているので、ハイブリッドタイプの考えやモノができてくれば一番良いのではと思っています。
いろいろと取り組む中で、学校訪問・ラジオ・ブログ・YouTube・TikTok・絵本制作などを同時に進めていくことで、たまに一人で行っていることが俯瞰的に見た時によくやっているなと呆れた気持ちに近い感情を抱くことがあります。
それらを行うことで毎月のように決まったお金が入ってくることもなく、動画や作品を作ったところで大きな評価をすぐに得られる保証はどこにもないのにどこからか湧いてくる使命に近いモチベーションが、日々自分を動かし続けて何かに取り憑かれたかのように取り組んでいるのは“一種の病気”に近いものを感じます。
経済面で見れば年金と手当を国や都道府県および市町村から頂いているので安定しているので、作品を作らなければお金は出ていかず溜まっていく一方なのに自己表現力の方が高まっていることもあって、自伝や小説や来春発売の絵本などに必要最低限なお金をかけているのは本当に良いのかと考えることがあります。
食欲や物欲が本当に低い僕は、特別これを食べたい!とか絶対これが欲しい!!といったものがもともと薄いところに年齢を重ねてくるとそれらがさらに強くなっているのを年々感じて、お金の使い所と使い方を再度考え直そうと思うことがあります。
ただ一つあるのは、どうせ使うのであればこれからの社会を担っていく子どもたちやシングルファミリーや子だくさん家族の方に対しての支援をしていけたらと考えているので、どこに使うかを考えて決めていけたらと思っています。

My Action General producer・Performer Sugiyama.