友人と河川敷で並んでいる写真

それぞれ違う道でも…。

この1週間で一気に気温が上がって、暑がりの僕にとってはだんだんと嫌な反面で動きやすくなってきています。
僕が住んでいる部屋は角部屋で、アパートの周りに家が密集していることもあって太陽の光が入ってこないせいで、夜勤の介助者は待機中にまだ暖房を使うことがあります。
一方で、晴れていたと思ったら急に雨が降ってきたりと、気圧や気温の変化についていくのがすごく大変でここぞという予定が入ってない日は無理しないようにしています。
きっと今年の夏も35度とか高い気温まで上がると思うと、カラダ第一であるとともに電気代が高くなることが怖いです。

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先週のブログでも書いたように、15日には市議会議員と会って“重度訪問介護を使って、仕事時に介助者のサポートを受けられる“することを、市として行っていくための話し合いが行われました。
現在、さいたま市や京都府や江戸川区など全国各地の市町村でそういった動きが進んでいる中で、国が定めている障害者総合支援法の元では、仕事時の介助が認められていません。
今や、パソコンを使えば視線操作や音声操作でいろいろなことができる仕組みがある中で、仕事によっては書類のページをめくることやスマホを使うことなどが出てきます。
現在の障害者総合支援法の中の重度訪問介護では、そういったことを介助者がサポートすることを認めておらず、簡単に表すと障害者は働く力を持っていないと思われているとしか僕は考えられません。
ここで抑えておきたいのは、障害を持っている人皆が働け!と言っているのではなく、まったくそのつもりもないです。
大切なのは、どんなに重度の障害を持っていても好きな仕事につける環境作りをシステムとして整えていくことが大切だと考えています。
15日の話し合いでは、これから市に住んでいる障害者がどういった日中活動をしているのかや、本当にそれを望んでいるのかなどを数値化していくことがひとつ。
そして現在既に行われているさいたま市などに連絡し、どういった流れで今のシステムができあがったのかを聞くことがひとつ。
大きく分けてこのふたつを調べながら、仕事中の介助者のお金をどこからどのように出していくかなど、まだまだやるべきことはたくさんあります。
それでも、誰かが動かないと今のままになってしまうのは、僕は納得できるものではないのでまずは僕が動くことかなと改めて思いました。
また動きがあったら、ブログで報告しまーす。

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以前僕の介助に来てくれていた人の大学の先輩で、僕と同じ年齢のトモダチがいて、かれこれ5年以上の付き合いでとても話しやすい人と久しぶりにお酒を4時間以上飲みながらいろいろなことを話しました。
そのトモダチは、知的を持った人の施設で働いていてこれからいちご農園をやるかもといった話や、僕の活動についてや発信することなどを話していました。
一言で表すと、めっちゃ楽しい時間!で介助者と過ごす時間が多い中で、自分の生活や活動が他人からするとすごく珍しくて発信する価値があると言われて、自分ではそんなことないのにと思いながらも他者視線は大切だと思いました。
それぞれ違う道を歩んで、なかなか会ってゆっくり話す時間は二十代の頃に比べるとだいぶとれなくなったなかでも、今回みたいな時間は一生懸命楽しむことが次へと繋がっていくと改めて思いました。
そこで学んだことや、自分にとっての新しい気付きや視点の数などを忘れずに進むべき道を一歩ずつ確実に歩んでいくことが大切だと思いました。
絵本・小説・ポエムなど、やりたいことを通して僕のような障害を持った人がいることの発信とともに、先ほども書いたように障害があっても働けることが実現するシステムを作っていくことが、ダイバーシティへ繋がっていくと僕は考えています。

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My Action General producer・Performer Sugiyama.

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