駅のロータリーにいる僕の写真

より一層覚悟を強く…。

年齢を重ねていくにつれて様々な経験をしていき、いろいろな人と出会う中で自分の中にある価値観や考え方をスライムみたいに柔らかくしてなるべく固定概念を持たない様にしていきたいと思いながらも、自分にとってこうあるべきといった考えや価値観を持った人との会話や考え方を目の当たりにした時に柔軟性が出なくなってしまうことがとても嫌です。
せっかく学生の方が介助にきている環境にいるのだから、今やこれからの時代を担う人の考え方や価値観をインプットして自分の中の考え方が偏らない様に心がけているつもりでも、たまにイラっとすることや自分の思いや考えが伝わらないことに対して全く成長しないじゃんといった気持ちになることがあります。
自分と同じ様な考え方や価値観を持った人と話すことと、少し違った考え方や価値観を持った人と話すことの両方とも大切だと考える中で、後者に対して積極的にアプローチしていくことをしていかないと老害として扱われそうだなと考えています。
青空の下で線路沿いにいる僕の写真

 

先週6日から8日の2日間で毎日の睡眠時に使っている人工呼吸器の値が、自分の身体に合っているのかとレントゲンなどの検査をするための入院がありました。
コロナ禍もあって、5年間ほど検査入院ができない状態で人工呼吸器の値が身体に合っているかや、肺の状態や血液検査などが行えずにいたので少し自分の身体の状態がどうなっているのかが心配でしたが、結果は特に問題なくすみました。
唯一、今回の検査入院で人工呼吸器の1分間に身体へ送る呼吸回数を一回だけ増やしただけで他には何も変更することがなく、肺への呼吸の入り方や量も以前とほとんど変わっていなくて年齢が40歳近くになっているのにも関わらず、大きな変化がないことは良いことだと思いました。
僕が入院した病院には、僕よりも重度の障害を持っている方がそれぞれのご自宅で様々な理由から支えることが難しかったり、ご自宅では受けることができない医療的ケアが必要となったりする方がほとんどで、言葉でのコミュニケーションを交わすことができない人が多いです。
2日間の入院中は当然のことながら、スマホを一切触ることなくベッドの上で検査がある以外はずっと寝たり、おうちで使っている車椅子に看護師さんの手を借りて座らせてもらい過ごしたりして、患者さんに対する看護師さんの対応がすごく丁寧で相手が話すことができなくてもしっかりと今から行うことを伝えている光景を見てやまゆり園での事件のことを考えていました。
19人の命を奪った植松さんは「重度障害者は生きていても生産性がないので、殺した方が社会のためだ」と言った供述を最後まで貫いていましたが、僕が入院している間で見て感じたことからは彼が持っていた思想は間違っていると改めて思いました。
なぜなら、ここで働いている看護師さんやお医者さんにとってみれば重度の障害を持っている人が生きているから仕事が発生して、それを行うことでお金をもらうことに繋がって目の前にいる重度の障害を持った人やそのご家族にとってもプラスになって、視野を広げてみれば重度の障害を持っている人が生きているだけで経済は回っていると僕は思いました。
つまり、植松さんがいっていた“生産性がない”というのは大きく間違っていると同時に視点を変えてみた時に重度の障害を持った人が必要な医療やサポートを受けることで、そこに必要な人材とお金を用意することに繋がることを考えた時に、生産性だけで考えてみても障害者は一定数社会にとって必要な存在だと僕は今回の検査入院で改めて思いました。
ただ改善すべき点を挙げるとするのであれば、圧倒的人材不足と現場で働いている人へのお金を含めた待遇などを今よりも向上していかなければ、近い将来において確実に障害を持った人やそのご家族を支援することができなくなることは避けるのは難しいと僕は考えています。
今の僕には具体的対策アイディアが出てきていないのですが、障害を持っていない人には関係ないことだと100%だと言えることではないと思うので、どこかのタイミングで真剣にこのことに向き合って話し合いを重ねて共通課題として解決する方向へもっていくべきだと僕は考えています。
このブログをきっかけに、何かが少しでも動き出してちょっとでも良い方向へ変わることを目指していければと思いながら、自分にできることを全力で取り組んでいきたいと考えていますので、これを読んでいただいた方も睡眠前の5分でも考えていただけたらと思っています。
日向ぼっこしている僕の写真

 

一昨年書いた小説の構成と現在SF小説を少しずつ進めていきながらも、その合間には2025年冬の完成を目標にしている絵本に関することを動かしながら、先月発売した書籍を含めたこれまでの作品を少しずつ買っていただくために、いろいろと考えながら日々必死に足掻いています。
“福祉とエンターテイメントで、世界中の人を笑顔にする!”この最終的なゴールに向けて、まずは日本国内に対して絵本と2本の小説で僕の名を今よりも知ってもらうことを40歳になるまでには達成しないと、それ以降の“文化を創造する”といった野望をカタチにすることが生きている間に叶わなくなってしまうので恐怖と焦りがあります。
中学生みたいなことを考えていると思われようが、結果で圧倒することだけを考えて毎日できる限りその野望に対して時間を割いていくことと、冒頭にも書いたように自分の考えや価値観が偏らない様にいろいろな人と直接会ってコミュニケーションを交わすことが大切だと僕は考えています。
世の中の大半の人が幸せと感じる、美味しいものを食べることや自分が欲しいものにお金を費やすことに対して全く魅力や興味が僕には沸かなく、この前も西野さんが手掛ける短編コマ撮りアニメのボトルジョージのエンドロールに名前を入れる権を購入しました。
また自分の書籍の売り上げで、知り合いが地域の子供たちの遊び場を作る活動に対しての支援をさせていただくことの方が僕にとっては楽しくて興味があります。
どちらが良い悪いではなく、お金の使い方や作り方を僕ら大人も含めて勉強して知識や価値観をアップデートさせていかないといけないのではと思い、学校の授業でお金について学ぶ時間を取り入れた方が良いと38歳になろうとしている今だからこそ強く感じます。
雪が降る中にいる僕の写真

 

 

黒い背景の上に赤く塗られた丸があって、その上に銀色の星形がありその上に黒字でmy、青い字でactionと記されたロゴが中央に

My Action General producer・Performer Sugiyama.

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