人と場所からパワーを…。

25日に浦和駅で行われた、歩笑夢(ぽえむ)主催の街頭アピール「19の軌跡忘れちゃいけない」へ行こうと家を出たところ、22日に車椅子の修理をしたので直っていたと思っていたら直っておらず浦和駅へ行くのを断念しました。
前にも書きましたがこのアピール活動は毎月1回行われていて、3年前に起きたやまゆり園事件を風化させないことを目的に事件直後から行われています。
次回は9月22日13:15〜 JR浦和駅東口パルコ前市民広場にて行われます。たくさんの方に僕らが障害を持って生活してる中で感じること、やまゆり園事件に対し思うことを知ってもらいたいと考えています。ぜひきれいな歌声や僕らの思いを聴きに来てください。

そんな歩笑夢(ぽえむ)主催の街頭アピール「19の軌跡忘れちゃいけない」に行くことが出来なかった25日。
家にずっといるとストレスが溜まるので、いつ車椅子が止まるかわからない不安と一緒に府中のTOHOシネマズへ今年2回目のONE PIECE STAMPEDEを観に行きました。
1回目の新宿のTOHOシネマズとはシアターの車椅子スペースの位置が違い、新宿は最前列のど真ん中に対し府中のスクリーン1の車椅子スペースはスクリーンから見て最後部の右後ろでした。また車椅子スペースが狭く介助者と並んで観ることができず僕の後ろに介助者がパイプ椅子に座る形になりました。
車椅子スペースがあることはとても嬉しいのと助かるのですが、まだまだこういったユニバーサル設計が統一されていないのでもし車椅子に乗った友達と行った場合はどうやって鑑賞ができるのかと思いました。
人の意識と一緒で、たくさん使い続けることがさらに良い環境を整えていくことになると思っています。

そして26日にはヒューマンケア協会とDPI日本会議が行なっている、JICA課題別研修「アフリカ地域 障害者のエンパワメントを通じた自立生活促進」の一コマである「自立生活者のお宅訪問」を担当させていただきました。
約1時間と短い時間でしたが、その中で自立生活を始めたきっかけ・介助者との関係で気をつけていること・My Actionについて・現在、行政に対し重度訪問介護の時間数についての交渉の4つについて話しました。
今回研修に来た人は帰国後に自国で障害者運動を進めていきます。その中で僕から子供達をターゲットに絞って、障害者のことを理解してもらう活動をポイントに進めていく方が、障害者がその地域や国で生活しやすくなる一つだと伝えました。

My Actionの活動についても触れ、自分で歌を作っていると話すと研修生から「ここで聴かせて!」とリクエストが入ったので曲を流し歌を披露しました。
当然日本語の歌詞なのですぐさま意味は伝わっていない様子でしたが、「メロディーが素晴らしい」と感想をもらえて、通訳の方が歌詞を訳して伝えてくれるとさらに「力強い歌詞で素晴らしい!!」と言ってくれました。
帰る前にみんなで記念撮影と1人ずつ写真を撮りたいとリクエストがあったので、身体から大量の汗と塩分をかきながら笑顔で「My Action!」と掛け声を言ってくれて写真を撮りました。
嵐のような凄まじい勢いで過ぎていった時間でしたが、楽しくこちらも新しく学べたことや発見もあり改めて別の国の人と話すことの大切さと楽しさを感じることが出来ました。

映画 天気の子に出てくるJR高円寺駅から徒歩5分くらいのところにある、氷川神社(気象神社)へ27日に行って来ました。
氷川神社はいろいろな場所にありますが、JR高円寺駅の側にあるのは別名気象神社とも言われており、天気の神様が祀られているそうです。
映画 天気の子を観た人は知っていると思いますがこの神社で売られている絵馬は、下駄の形をしたものになっていて天気にまつわる願い事(天候や人の気持ち)を絵馬に書くと叶うと言われています。

 

 

初詣の時くらいしか神社には行かないのですが、わりかし八王子から近いことをネット調べて知った上で自分の気持ちが晴れれば。と思い気象神社へ行き絵馬を買い願い事を書いて飾ってきました。
鳥居をくぐる際に一礼をしてください。と書かれていたので僕は実際に一礼するのが難しいので心の中で一礼をしました。
気象神社の鳥居をくぐった瞬間、気のせいかもしれませんが敷地の中だけ空気が湿っていたような感じがしました。
そして、下駄の形をした絵馬を購入し、障害者にとって太陽のような明るい時代になりますように。と書き飾ってきました。
一応、「太陽」という言葉を使って願い事を書いたので叶ってくれると信じています。

アフリカの研修生が家に来た26日の午前中にハローワークへ行って、在宅でできる仕事を探しましたが条件と一致するものが見当たりませんでした。
パソコン入力装置を取り入れて在宅勤務をすればできないことはないのですが、1番の不安要素としては身体が壊れないかどうかということがあります。
10代の頃は自分でパソコンを操作して長文を打ったりウェブサイトの更新などを行なったりしてましたが、どうしても身体に負荷がかかってしまうことと同時期に、二十歳から自立生活を始めたので全て介助者に口頭で伝えて文章を打ったりウェブサイトを更新などを現在は行なっています。
そんなことは甘えている!と言われてしまっては返す言葉がないのですが、目的が自分の身体だけで仕事をするのか、人の手を介して仕事をするのか、どちらが正しいことかは僕にははっきり言えません。
今の障害者総合支援法に記されているのは、経済活動=仕事の際に、重度訪問介護を利用してはならない。とあります。
今やICT技術の向上はものすごい勢いです。それによって遠隔操作でOriHimeなどを使い会社のミーティング参加や喫茶店などの接客業が家にいても行えます。
そのことはとても素晴らしいこととともに障害者が社会参加する上でかなりの貢献になっていると考えます。ですが、そもそも経済活動時に重度訪問介護利用可能にしてしまえば、もっと簡単に仕事ができ社会参加できる場やバリエーションが増えると思います。

ハローワークで話し終えて移動してる際に、東京都 障害者施策推進部 計画課 権利擁護担当から連絡がありました。
内容は僕から、八王子市との重度訪問介護時間数の交渉をする中で財源を理由に障害者の生活を決めることは人権侵害および人権剥奪にあたるのではないかについての返答でした。
簡単に権利擁護担当が言っていたこととしては、皆さんそういったルールや決まりの基で生活をされていますので、一先ず八王子市との交渉を継続してほしい。といった内容でした。
まず、僕は一度も交渉をするのをやめるなどといったことは八王子市の福祉課に対し言ってはいません。それにも関わらず、「都としましては市町村の決定に委ねていますので、支給決定がされてからそれに対し不服がございましたらご連絡ください。」といった言葉しか出て来ませんでした。
僕は決して間違ったことを訴えているつもりはなく、重度訪問介護の時間数を744時間支給してほしいが、700時間で納得する、残りの時間は1日3時間ずつ介助者がいない時間を確保したり引き続き仕事を探すといった内容で交渉しています。
この内容は解決しなければいけないもの・障害者全体の課題であると思っています。これから僕がやっていかなければいけないことは仲間を増やして行動に移すことかと思っています。

 

 


My Action General producer・Performer Sugiyama.

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