気がつけば、9月も6日が過ぎようとしています。あと3ヶ月で2020年になると考えると本当に1年が過ぎるのが早いと感じ、また1日大切にしていかないといった考えが強くなります。
最近の日本は四季がなくなりつつあるとどこかの学者が言ってましたが、特に今年の夏は湿度が高くカラッとした天気が少なかったような気がして、地球温暖化が加速しているのを肌で感じました。
来年の夏は酷暑にならないかと今から心配です。
1日には立川昭和記念公園へリフレッシュしに行きました。
JR立川駅から約10分ぐらいのところに正面入り口がありそこから歩いて園内をブラブラして、「みんなの広場」という場所で駅近くのコンビニで買ったご飯を食べて空を見て風を感じていました。
この日はそんなに日差しが強くなく、人もそんなにたくさんはおらず家族づれやカップルがいてそんな風景を見ながら、これが幸せという形なのかと考えながら、介助者と市役所との重度訪問介護の交渉の話をしていました。
こんなところに来ても、そんな話をする自分が少し嫌になりましたが、それだけ自分にとって大切な課題なのだと改めて感じました。
昭和記念公園はほとんど段差がなく、噴水の近くまでスロープで降りていけたり誰でもトイレも園内に何ヶ所か設置されていて、場所によってはベッドが備え付けてあります。
国が管理している公園だからと思うかもしれませんが、こういった公園が増えていくことで高齢化社会になる日本にとってはとても重要だと思います。
他の市町村でもこういったバリアフリーの公園が増えていくことで、そこで触れ合うことができ心のバリアフリーが進んでいくと僕は考えています。
建物や法律においてのバリアフリーはとても大事なことですが、僕は一人一人の心のバリアフリーが進んでいかないと、本当の意味での共生社会は実現されないと思います。
2日には、大江戸線の新江古田駅から歩いて約15分くらいのところにある、社会福祉法人 東京コロニー法人本部へ、今から約15年前にトーコロ情報処理センター職能開発室でWebサイトやプログラム言語を学んでいた時にお世話になった、岩田さんという方にお会いしに行ってきました。
15年前とは建物自体がリニューアルされていて、到着してもはじめのうちは記憶が曖昧で思い出せませんでした。2011年の東北で起きた地震の影響で当時の建物の強度は心配だったのでリニューアルしたそうです。
1階にある知的障害者の方が働いてるパン屋さんでお昼をご馳走になりながら、パソコンを教えて頂いていた当時の頃の話や最近の近況について話しました。
本来、トーコロ情報処理センター職能開発室を卒業した後は在宅勤務になる人がほとんどの中で僕はそうではなく、ヒューマンケア協会に就職する道を選びました。
15年ぶりに会うといろいろな想いが込み上げてきて、勤務中にも関わらずお時間を作って頂いてたくさんの話が出来ました。
帰宅して感謝とお会いした嬉しさの気持ちをメールで送らせていただくと、
今日は久々にお会いできて嬉しかったです。杉山さんは昔から自立心の強いしっかりした方でしたが、歳を重ねてますます逞しく、真面目でしっかりとした考えを持たれていることに感心しました。これからもますますご活躍ください!!とすごく嬉しいお返事を頂いて、改めて人との出会い・繋がりは僕にとって何よりも大事なもので、それがないと生きていけない自信があります。
5日には、重度訪問介護の時間数の交渉で八王子市役所へ行きました。
この日は約2時間ほどワーカーと話をし、いつものごとく平行線を保ったままの交渉でした。
僕が都の在宅支援課に問い合わせたことが八王子市福祉課にも連絡が来ていたらしく、それを踏まえて「これ以上、私たちを責めないでください。」と冗談混じりの言葉がワーカーから出て、僕はそれについて間違ったことはしていない、ほんの少しだけどプレッシャーを与えることができたと考えています。
細かくは書けないのですがこの日の交渉の中で向こうから具体的な提示がありました。それに対し僕は真っ向から乗るつもりはなく、日中活動できる場所・ショートステイの経験など今までの交渉の中でワーカーから出されたことに対しては全部応じた上で、やはり重度訪問介護時間数を700時間にしてほしいという要望は変わっていません。
またこの日の交渉で呆れたのは、以前からお願いしている僕の案件を会議に上げてほしいということがなされておりませんでした。
こちらはワーカー出されたことに対し実際に行なっているのにも関わらず、こちらからの要望に対しては全くいっていいほど実際に行われていなことに対し腹が立ちました。
今月が過ぎてしまうと、現在支給されている重度訪問介護時間数の744時間から653時間に戻されてしまいます。
5日の交渉の際にもワーカーに対し、「もし、9月が過ぎて時間数が653時間に戻されたとしても僕は交渉をし続けます。」と伝えました。
そして、同じ日の5日の夜には僕の歌の作曲をしていただいているビッグメイドミュージックの方と下半期の、音楽活動について打ち合わせをしました。
20時から始まって終わったのが23時でした。今手元にある作詞したものから自分が伝えたいこと・社会の動きなどを考慮して、どの歌詞を歌にするのか・リリースする時期や形(単品・パッケージ)などこと細かく話しました。
プロデューサーの方からの言葉の中で、「アルバムMy Burning Musicに収録されている歌の歌詞と、6月にリリースした”小さくて広い世界”など杉山さんから新しく送られてくる歌詞のテイストや込められた想いが明らかに良い意味で違ってきているよね。」と言っていただき、去年の8月から生活がガラリと変わって、その中で自分でも無意識のうちに、自分で行動しないと道は切り開けない。とそれまであったプライドが少しずつ無くなってきたのかと思いました。
今までのブログをご覧いただければ分かっていただけると思いますが、本当にこの1年で新しい出会いがたくさんあり、さらにそれと同じ数の新しい経験をさせていただいています。
たまには疲れきってしまって倒れてしまうこともあるのですが、一つの揺るぎない考えが自分の中にあることで、人に頼ることがいけないことだと思わなくなるのかと自分で振り返った時に考えます。
これからも自分でいろいろなアイデアや考え方を増やしていって、今以上にいろいろな方と巡り会えれば、それが幸せなのかと思います。
My Action General producer・Performer Sugiyama.