この世界で起きている様々な出来事を全て理解して把握することは不可能なことだけど、だからといって自分に関係する事や興味がある情報だけを手にすることはよくないと改めて思わされ、もっといろいろなニュースを見てそこから自分で調べる癖を身につけていくべきだと改めて思わされました。
2018年に大阪で車道を走っていたショベルカーの運転手がてんかんを起こし、歩道を歩いていた聴覚障害を持った女の子を轢いてしまい命を奪ったというニュースを恥ずかしながらつい最近知った。
先月27日にあった裁判では、逸失利益が焦点になって約3700万円の金額が損害賠償として加害者に下されたが、裁判長の言葉の中で”労働労力が制限されうる程度の障害があったこと自体は否定できない”と裁判長の口から出た。
ダイバーシティ・インクルーシブ教育とか、障害のあるなし関係なく過ごしやすい社会へとか綺麗な言葉ばかり並べていて、現実を見た時にそういった言葉とはかなりかけ離れている社会が平然と存在していることに対して強く苛立ちと悔しさと恥ずかしさを僕は覚えた。
公平な判断をする裁判所に関わっている人の口からこういった言葉が出ることや、男女によって逸失利益が違うことがまだ平然と行われていては男女平等社会やダイバーシティを実現しようとするのはかなり遠い道のりになるなと僕は感じました。
3月になって毎日昼間になると暖かく感じる日が少しずつ増えてきていて、外を歩いていると花粉を存分に感じることができておかげで目が痒くなって気候は心地いいのに、身体は凄く辛く感じます。
7日は今年度最後の学校訪問で生徒と交流し、今回は生徒が考えたゲームやスポーツを通じたオリジナルパラリンピックと題し、ボッチャやアイマスクをして視覚障害の体験などを一緒に行ってきました。
2月の上旬にオンラインを使って子どもたちがこんな風な工夫を考えていることを教えてもらい、それに対して僕が気になった事を少しだけ伝えさせてもらってから約1ヶ月の間にいろいろと試行錯誤して耳が聞こえない人の為にタブレットで字幕をモニターに表示させたり、実際に行うことで見本として伝えたりすることが出来ていました。
僕もアイマスクをつけて車椅子で学校の体育館に敷かれたマットで作られたコースを、子どもたちの「右だよ!」「少し前です!」の声だけを頼りにコースの始めから終わりまで車椅子でゆっくり歩いてみて視覚出来事情報を失うだけでこんなにも怖く感じるんだなと身をもって経験することが出来ました。
同じ障害者という枠組みでも、僕のように身体障害を持った人が視覚障害を持った人の体験をすることは大切で面白く感じ、そして何よりも子どもたちが自分で考えたことに大きな意味があって障害の有無問わずみんなが楽しめるものになっていました。
他にも新聞紙を棒状にしたものを使ってボールを飛ばすサッカーみたいなゲームや、うちわみたいな大きさのラケットと風船を使って行うゲームも子どもたちが考えて僕の車椅子に新聞紙を貼り付けたりラケットのようなものを付けてくれたりして一緒に楽しむことが出来ました。
こういったどう工夫したら障害のある人でも一緒に楽しむことが出来るかや、その場になって身近にあるものを使って工夫する事を通じて相手のことを考える力や0→1でクリエイティブする力を身につけていくことが出来ると感じました。
当然、やるからには僕も本気で行って額と後頭部から汗がダラダラと落ちながらも子どもたちと笑い合って楽しい時間を過ごすことが出来ました。
かれこれ学校交流も約10年以上続けさせていただいている中で、その学年ごとや一人一人の子供によって向き合い方や使う言葉を変えていくことが必要になってくるので何年経っても毎回とても新鮮に感じながら僕も勉強になっています。
年度が変わって今まで通りの交流が行えるかはまだ見えないですが、メインは子どもたちなので卒業まであと2年はなんとか今交流させていただいている学校と繋がり保って交流が継続できればも思っています。
2018年にアメリカのワシントンD.C.に同時勤めていた自立生活センターの若手職員と行った時に、障害者差別禁止法(ADA法)を作った障害当事者の一人で女性リーダーのジュディ・ヒューマンさんとお会いしました。
彼女は僕と初めて会ったにも関わらずとても優しく話してもらい、僕が当時抱えていた悩みを話すと笑顔で「あなたがやりたいと思っているのであれば、後悔せずにやるべきだよ」と言ってもらいそこから今のMy Actionが本格的に始まりました。
その彼女が4日(現地時間)にこの世を去ったというニュースがSNSのタイムラインに流れてきて、久しぶりに”死がもたらす怖さや不安”に心を揺さぶられました。
人はいずれ死ぬのでそのことを変えることは出来ないので、ジュディが行ってきたことやあの日・あの時に貰った言葉を忘れずに自分なりの活動や運動を社会に対してActionしていくことで僕の後に次ぐ障害を持った人やそうでない人が生活しやすい世界にしていこうとより一層覚悟が強くなりました。
今回だけでなく、自分がお世話になった人や大切だと思っている人が亡くなった時に”会いたいと思ったら会いに行こう”と強く感じます。
もしかしたら、このブログを書いて投稿した次の日に僕が死ぬ可能性はゼロではなく、いつその時が来ても後悔する確率を1%でも低いものにして行くためにも毎日を必死に生きて自分がやりたいと思ったことや会いたいと思った人に会いに行ったり、行ったりすることに力を注いで生きていけばと思います。
My Action General producer・Performer Sugiyama.