9日にフジテレビで放送された、THE MANZAI 2018 を観ていてその前の週に放送された M-1グランプリよりも緊張感が画面から伝わってこず、その代わりに出ている芸人が活き活きと楽しく漫才をしているのが伝わってきました。
M-1グランプリが終わってから、ある芸人のInstagramのライブ動画の中で特定の人を罵倒していることがニュースで報道されていました。
僕はそれを観ていて、本人同士がしっかり話し合って解決したのであればそれ以降はニュースで取り上げる必要はないのかなと思いました。
またM-1グランプリに対しても、お笑いを審査でチャンピオンを決めるシステムが僕はあまり好きではありません。何を基準に審査して、この芸人よりもこっちの芸人の方が上だと決めているのか明確ではありません。
笑えるものを作れるのが漫才師である時点で、素晴らしいことだと思います。
そして、14日に前の職場であるヒューマンケア協会で行われた忘年会兼僕の送別会に参加させていただきました。
前日まで行くかどうか本当に迷っていました。なぜかというと今年の8月に退職したわけですがその理由があまり良い辞め方ではなく、僕の中でヒューマンケア協会のスタッフに対し申し訳なさと合わせる顔がないと勝手に思っていたからです。
これから4ヶ月… まだ胸を張ってスタッフの前に立てる自身がありませんでした。
それと同時に、今回行かなかったらあとで何かしらの後悔が残るとも思いました。後悔だけはしたくないと常に思っているので勇気を振り絞って参加することにしました。
手ぶらで行くのも心苦しかったので、駅ビルに入っているデザート屋でプリンを人数分買って持っていったところみなさん喜んでくれていたので、こちらも嬉しかったです。
久しぶりに入ったヒューマンケア協会の事務所。まだ4ヶ月しか経っていないのにどこか懐かしくそれとともに自分の居場所ではないと、言葉で表現できない空気感や自分の立ち位置がそこにありました。
忘年会兼僕の送別会が始まって美味しい料理やお酒をいただきましたが、どこかで緊張している自分がいることに気がつきました。
今回行った理由というか、やりたかったことがありました。
それは僕が尊敬している人である、ヒューマンケア協会代表の中西正司さんに、アルバムCD My Burning Music を渡したかったからです。
正直、渡した時にどういう反応が返ってくるのかすごく怖く感じてお酒を飲んでいてもあまり味を感じませんでした。
中西さんが帰るタイミングを見計らって、コレ、先月出来上がったCDなので良かったら聴いてください。とありきたりな言葉しか出てきませんでした。
中西さんはすごく優しい口調で、
健太郎がやろうとしている、My Actionの活動を応援するし、困ったことがあったら相談しにおいで。
と言ってくれました。(写真は4年くらい前のものです。)
僕は一つ自分の中で勘違いしていたことに気づきました。
それは、心のどこかで中西さんを超えたいと思っていたことです。もちろん中西さんがやってきたことではなく僕オリジナルのことで、です。
その考え、すなわち誰かを超えたいと考えている時点で自分の可能性にリミットを作ってしまうのだと中西さんから最後の最後で教わった気がします。
僕は今でも心から中西さんを尊敬しています。同時に憧れの対象でもあります。しかしそこで終わってしまっては、単なる「ないものねだり」だと感じました。
ブログ・ラジオ・Facebookなどで、「福祉×エンターテイメント」を作る、「障害は個性だ」と書いていた割に、たぶんおそらく自分でも気づかないうちに中西さんの真似(?)をしようとしていたのかもわかりません。
ただ、「福祉×エンターテイメント」や「障害は個性だ」の考えや方向性は間違っていないと思っています。僕が言いたいのは無意識に中西さんから認められたいと欲求に似た願望があったとかもしれません。
アルバムを渡して、中西さんが帰る準備をしていたので図々しいと少し思いましたが、「さっきお渡ししたCDを持っていただいて、写真を撮らせてください。」とお願いすると快く「全然構わないよ。ヒューマンの看板はあった方がいいか?」と言っていただいたので、「ぜひお願いします!ありがとうございます!!」とすぐさまお願いしました。
中西さんが運転する車を見送りながら、こんな心が広くて僕なんかのことを気にかけてくれる人に、いつか僕もなれたら… と寒い夜空の下で目がウルウルしてしまいました。
改めて、初めて中西さんと会った小学校の頃からヒューマンケア協会で働かせてもらうことになったことや、いろいろな国の人と出会えたこと、アメリカに行かせてもらったことなど書ききれないほど、中西さんやヒューマンケア協会からはたくさんのことや経験をさせてもらったりいただいたりしていたのだと感謝の気持ちでいっぱいです。
もしかしたら本当の意味で自立していなかったのかもしれません。これからMy Actionの活動や考え方を社会や世界に広めていくことが、僕にとっての自立なのだと感じました。
My Action General producer・Performer Sugiyama.