はっきりとした原因は分からないのですが、頭の後ろにデキモノがいつのまにか生まれて車椅子に座るとその箇所が当たって、作品制作などの活動になかなか難しくイラつく頻度が多くなっています。同じ箇所にずっと力が加わっているのと、汗で蒸れてしまうことで炎症が起きてしまい、少し大きなジャマモノとなって行動制限がかかってしまっていることが、すごく不快で当てようの無いイライラが増しています。いつも座っている座位保持はかれこれ5年以上使って頭を置く台のカバー交換や、ちょっとした故障などは今まで何度も繰り返してきているのですが、そろそろ新しいものに替える時期なのかなと思いながらも、イチから作るとお金や時間が削られるのでどうしようかなと思っています。1番ネックになっているのは、修理にしても新しく作るにしても、そこにかかる費用のほとんどはみなさんが収めた税金から出されるということで、いくら僕が生活する上で必要な物だとはいえみなさんが一生懸命働いて収めた税金を簡単に使うことは、僕はなんか違うと思います。修理が必要な箇所だけ直して、なるべく少ない費用で長く使っていけるように少し考えてみようと思います。
25日で1つ年齢を重ねることもあってか、今までは自分が前へ出て目立てればいいといった考えが自分の中に強くあったのが、現在はゼロにはなってはいないものの少しずつ弱くなっているのを感じています。同時に、スタエフでも話したことですが、これから社会へ出ていろいろな人と関わることやさまざまなことを経験すると僕より年齢が下の人に対して、今の僕が持っている力や人脈やお金をどう使っていくかに対して考えが強くなっています。その一つとして、“重度訪問介護を利用して、仕事の時でもヘルパーのサポートを受けられるように”することが実現できれば、どんなに重度の障害があってもその人が望む職選択を増やすことに繋がると考えています。一方で、現在進めている絵本制作や小説などのエンターテイメントの方にももっと力と時間を割いていくことが大切だと考え、一つのことに集中しすぎないようにバランスを取って進めていけばと考えています。そこに加えて、いろいろな人と直接会って話す時間を意識して作ることで視野を広げていくことや、現在持っていない思考を自分の中に作っていくことが成長へ繋がって、これからの時代を作る人は僕ができることでは無いかと考えています。この1年で自分がどれだけ変わることができて成長に繋がっているのかと考えた時に、すごく不安な気持ちに押し潰されそうになることがあります。成長できているかどうかの答えは、おそらくこの世界から僕の肉体が朽ちて果て尽きる瞬間に分かることなのかなと目の前のことに取り組んでいくことが、今の僕にできることだと思っています。こうして文章に書き起こしていると、あとわずかの命みたいに思えてきています。きっとそう思っている人ほど長生きして最期までジタバタして、今と変わらないことを続けて死を迎える想像がつきます。これぐらいの熱量で取り組めることが見つかって行えて、両親や今の生活を支えてくれている介助者がいてこそだと感謝しても足りないほど、心から感謝ともっとやってやる!!といった気持ちです。
今週もそんな大きな出来事はなく、時間さえあれば頭の中で絵本制作に関することを考えたり、SF小説を書き進めていたりと変わらない日々でした。本当は駅前で介助者募集のチラシ配りや、困っていそうな人へ自分から声をかけてサポートをすることを思いながらも、なんだかんだと言い訳やら逃げ道を作っては自分のことばかりで終わってしまいます。すごく情けなく直して行かなければと思う一方で、時間は24時間と限られて身体は一つしかない中で下手に他の人のサポートへ手を出して中途半端に終わってしまうと考えると、まずは自分のことをしっかりカタチにしなければと思います。ここから1年は少しでも余裕を作ってしっかりと他の人のサポートができる自分に成長できればと思い、時間配分や身体と心のバランスをうまく取っていければと思います。
My Action General producer・Performer Sugiyama.