自分もその中の一人として…。

東京オリンピック2020大会が開催して約一週間
僕のおうちにはテレビがないので、毎朝スマホでニュースをチェックしたりSNSのタイムラインに表示されるオリンピック関連情報で、試合結果やメダル獲得などの情報を得ています。
唯一、オリンピック競技で男子サッカーだけはパソコンからTVerでライブ観戦しています。
既にいろいろな人やSNSなどで擦り倒されている今回のオリンピック開会式
どのような演出になっているのかとパフォーマー目線でチェックしておこうと思い、全体の80%ぐらいを見ていました。
先週の土曜日にアップしたBurning Talkの中でもお話ししましたが、統一感が全くなく全てにおいて中途半端な演出だと僕は思いました。
僕が総合演出だったら東北地方や日本各地の踊りを全面に出して、無観客をポジティブに捉えて誰も座っていない客席に、照明などを設置するなどといった演出を行うと思いながら見ていました。
何にしても、急遽演出を務めることになったクリエイターやパフォーマーを責めるつもりはなく、組織委員会の在り方や考え方が全て逆手になった開会式だと思いました。

 

 

 

 

 

7月26日は、僕ら障害者にとって忘れてはいけない日
今から5年前の7月26日に、相模原市にある津久井やまゆり園障害者殺傷事件という悲惨な事件が起きました。
概要は今更説明する事ではないですが、このやまゆり園という施設で働いていた職員が夜中に施設へ侵入し重度障害者19人の命を奪い、その場にいた職員や利用者を傷つけたというものです。
犯行に及んだ元職員の植松氏は、障害者は社会のお荷物・生産性のないものといった思考を持ち、裁判の最後までその主張を変えず、決して間違った事をしたとは思っていないという考えを貫いていた
オリンピックやそれに関連するニュースや、芸能人の不祥事などといったくだらないニュースばかりメディアが取り扱うため、やまゆり園障害者殺傷事件から5年という事がおそらく社会にいるほとんどの人に届いておらず、極端に表すと忘れられてしまっている事も現実として存在していると僕は思う。
この事件は、植松氏だけが起こしたものではなくこの世界にいる人たちがどこがで一瞬でも同じような思いを抱いた事の現れだと僕は今でも思っている。
大前提として、植松氏を擁護するつもりは全くない。が、僕からすると彼も社会からの被害者の1人である事は間違いない。
彼もきっと幼い頃はとても可愛く優しい心を持った1人の子供であったことは間違いない。
何らかの理由で社会に対して絶望し挫折を味わった事で、自分よりも身体的に力の無い存在である障害者に彼の中にある怒り・不安などといった感情をぶつけてしまったのだと僕は思っている。
ダイバーシティ・インクルーシブ教育と言った言葉や考えを、僕は否定するつもりはないが、その前にもっと1人の人として老若男女・障害問わず、一人一人が生きやすい社会や環境を作っていく必要があり、その為には教育からアプローチをしていく必要が僕はあると強く感じます。

 

今週はほとんどおうちの中にいて、Burning TalkKentaro’s Roomを撮影及び編集してYouTubeで発信していました。
Kentaro’s Roomを撮影する時に、なるべく電動車椅子に乗った状態で撮影したいと思っていましたが、大事なのは内容であると思いおうちの中で座っている座位保持に座った状態で録画しました。
僕の動画のスタイルは他のYouTuberさんの動画のように凝ったものにせず、ほとんど編集を行わず、自分の名前のテロップを入れたり、声の音声調節を行ったりするだけです。
なぜかというと、スラスラと喋りづらい僕の姿を見てもらったり、長時間話していると呼吸が段々荒くなってくる様子をそのまま見てもらいたいと思っているのと、僕のような障害者YouTuberは増えてきている中でどうやって僕なりのバリューを付けていくかを考えた結果が今の状態です。
もちろん、これからさらに話す内容もテロップなどの見栄えを磨いていきたいと思っています。

 

オリンピックで徐々にメダルの数が増えていって、日本人アスリートの姿を見ている人が勇気や力をもらう事で、コロナ禍で心が落ち込んでいたところに光が刺した事はとても良い事だと思っています。
8月交換のパラリンピック大会がオリンピック同様に注目され盛り上がる事を僕強く願っています。

 


My Action General producer・Performer Sugiyama.

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