5月だというのに急激に寒くなったり、晴れていたと思ったら雨が降ってきたりと不安定な世界情勢を表しているかの様な天候で、体調を崩さないことがますます難しいと感じています。
9日は母の日でしたが、母の日だと気がついたのが夜10時過ぎていて「いつもありがとうございます」という思いをLINEで送っただけで、花を送ったりだとかクッキーを買ったりだとかは一切しなかったので申し訳ないなと思いました。
僕の母親の誕生日が4月で、僕も同じ4月。両親の結婚記念日が5月で弟妹が6月に誕生日があって最後に父親の誕生日が7月と一年の前半に集中していて、さすがに全ての記念日にプレゼントを送るのは苦しくて両親の誕生日・結婚記念日だけでもと思って出来ることはしているつもりです。
無理をしてまで何かものを渡すことが全てではないと思い、感謝の言葉を口にしたりLINEで伝えたりすることだけでも何もしないよりは良いのではと前向きに解釈しています。
8日の夜に”障害は個性なのか?”について参加者の意見や考えを聞き合うオンラインイベントがあったので参加させていただきました。
僕は、“障害は個性だ!”と堂々とアピールしながら行動している人間なので、その問いに対しては100%イェスですが、その考えを他人に押し付けることは絶対にしない様にしているつもりです。
僕は先天性の障害者ですが、中途障害や進行性の障害・病気を抱えて生きている人にとっては“障害は個性”といったキーワードがあることで生きづらくなることがあると僕は考えています。
オンラインイベントの時にも話したエピソードですが、現在行っているMy Actionの活動(歌手・YouTuber・学校訪問など)を身体障害がない状態で行えるかと言ったら答えはノーで、例え僕が介助者として働きながら同じ様な活動を行ったとしても、人に届けられるものは今よりも低く狭いものになってしまうと僕は考えています。
障害を持っていることで日常生活の中で健常者よりも遠回りしたり他人の手を借りることは確かに多い。
外出している時も、未だに電動車椅子に乗って移動している姿を物珍しそうに見てくる人もいます。
が、僕はそれ以上に人との関わりの中で得られるものや経験できるものはたくさんあると思っていて、”障害をもって生きていることに誇りを感じて”います。
あくまでも僕の考えなので、人それぞれ価値観や経験してきたものは違うので”障害”に対しての捉え方や考え方は違って良いと思います。
大切なのは、そういった様々な考えを尊重して相手をリスペクトしてみんなが自分らしく生きられる社会を作っていくことだと僕は思いました。
オンラインイベントに参加していろいろな方が持つ様々な考え方や価値観に触れることと同じ時間だけ、頭の中でイメージしたものをクリエイティブする時間を意識的に確保していっています。
人から聞いた話やSNSなどで見た情報をそのままにせず、“小説”という表現方法で僕が感じたことや考えていること・目指している世界に近づけていける様にするためには、圧倒的なクオリティーが高い作品を生み出すことが必要になってくると僕は考えています。
先の話にもつながることですが、自分がクリエイティブしたものにおいて“身体障害を持っている杉山健太郎が創ったもの”といったフィルターがかかって見られてしまうことにおいては、僕は何も抵抗感が無く作品を見た人の感想の一つだと思っています。
僕が、歌・小説・Youtubeの動画などの作品をクリエイティブするうえで“障害を持って頑張って創ったよ!”とは一切思った事はなく、これからもそういった思いを抱いてクリエイティブする事は無いと思います。
SNSやWeb3などが急激に発達していき、いろいろな人とのコミュニケーションを図る事ができたり、クリエイティブしたものを簡単に世界へ見せることができるプラットフォームが整いつつある現代において、もはや障害はプラスに作用することもあまりないと僕は考えています。
つまり、“圧倒的なクオリティー”を生み出せるかどうかやそこにおいての努力や情報収集などに24時間と限られた時間の中で自分でどうマネジメントしていきプロデュースできるかだと思います。
少なくとも僕はそこに対し、自分なりの努力や熱意で世界をあっと言わせるつもりです。
My Action General producer・Performer Sugiyama.