大きなものを相手にすると…。

先週は、あまり体調が良くなくずっと家にいて頭痛と精神的ストレスと戦っていました。精神的ストレスの要因は自分でもわかっていて、介助者との相性が合わずそのことでずっと悩んでいます。
体調面ではおそらく12日に関東地方を襲った台風の影響もあって自律神経のバランスが乱れて体調不良になったと思います。
13日の午前中には久しぶりに外出ができ、太陽の光にあたることができてとても気持ち良かったです。

台風19号が2019年10月12日に昭和33年に関東を通過した台風より強い勢力を維持したまま、関東地方を通過していき、浅川の氾濫や大雨をもたらした。
24時間体制で介助者を利用していると、無事に介助者が僕の家まで来れるか、ニュースを観ながら大雨や強風になる時間帯に介助交代が重ならないように介助者の「安全第一」を考慮し、夕方の介助者を朝から来てもらい1番大雨や強風となる時間帯に交代にならないように工夫をするなど、自分で思っていたよりも連絡や相談などやることがたくさんあった。
事業所には事後報告として必ず伝えるようにはしたうえで、介助者と僕との間で連絡及び相談を進めていった。
自立生活を13年間行ってきたなかで、台風で近くの小学校へ避難したのは初めての経験となった。
正直なところ家でネットテレビを通じて台風情報を収集して「いつ・どのタイミング・どのようにして」自宅から小学校へ避難していいのかわからなかった。

まず1番に行ったのは、自分が住んでいるところの避難所の確認をした。
そして避難場所となった小学校へ念の為、「障害を持っていてそちらへ避難したいと考えているのですが、空いていますか。」と確認の電話を入れた。学校へ到着するとすでにブルーシートと毛布や防寒シートが2人分準備してあった。
避難所へ行く前に電話を入れることにより、より適切かつ迅速な対応をしてもらえることがわかった。
そこから、普段であれば小学校までは電動車椅子で約10分程で到着するのですが、外は大雨でとても電動車椅子で出られる状態ではなかった。
そこで、いくら「避難勧告」が地域から出ていても僕のような障害を持っていると先程も書いたように、自宅から避難場所へ行くのが第1のミッションとなる。
それが視覚・聴覚・精神など様々な障害者の場合、その障害に応じてさらに避難場所へ自分の足で行くことが負担になる。
結局、僕は普段から利用している介護タクシーに連絡し自宅から避難場所への送迎のお願いをした。
実際、避難所となった小学校ではたくさんの人が避難してくるため、コンセントの数避難している人の割合と全く合わない。
それにより24時間呼吸器を利用したり医療的ケアを行ったりと普段から必要としている方にとっては、かなりハードルが高いことになる。今回のような1日で避難場所から自宅へ帰れる規模であれば良いが、これがもしさらに大きな災害の規模になり2、3日間と避難生活が続くと重度障害者にとっても介助者にとっても大きなストレスや身体的リスクが高いことであると感じた。
2011年3月11日の震災同様、「避難できる方法」を自ら考えておくことと地域の避難経路の確認やそれを踏まえて車椅子や自分の障害に応じた避難ルート及び避難する時に必要な支援を準備しておくことが今回の経験で必要だと感じた。

また、避難場所となる地域の小学校に関しては入り口に段差があったり、体育館に障害者用トイレ準備されていなかった。また体育館の入り口に階段があり、大人4人で車椅子を担いで上がり、トイレをする時は避難した際に支給してもらった毛布で身体を隠し行っていた。
今回小学校へ避難してわかったことは、ハード面が全くバリアフリー化されていないことが今回のような災害時に、障害問わず避難してくる人に向けての配慮が足りないと感じた。
その一方で、ソフト面(人の心)はすごく丁寧に対応してくれていた。
障害当事者本人と介助者の毛布やシートを提供してくれたり、「何かあったら声かけてください」と親切な言葉をもらえた。
小学校へ避難してきたのが、12日の正午頃で時間が経つにつれてだんだん小学校の体育館が人で埋まってきて、対応してくれていたスタッフの方や避難してきている人の顔に疲れやストレスがだんだんと表に出てきていた。
常時ラジオから台風情報や台風に関する災害のニュースが流れてきていた。
僕は自宅から2リットルの水とスマホのモバイルバッテリーしか持ってこなかったため、ラジオから流れてくるニュースを聞いたりスマホで音楽を聴いたり家族へ連絡を取ったりしていた。
何より隣に介助者がいてお手洗いや水分補給を手伝ってくれることがとてもありがたく感じた。避難した当日僕は2リットルの水しか無かったため介助者が持っていたお菓子をもらいながら、ただただ時間が過ぎるのを待っていた。
普段から食べ物を多めに買っておくことが非常時にどれだけ役立つかということを今回の経験から改めて考えさせられた。

避難所にいる間は自分の状況など、随時SNSを通して安否を伝えていたり他の人の状況を把握していた
こういった時に普段から近所付き合いや同じ市に住んでいる当事者同士・介助者等のネットワーク構築しておくことがすごく重要だと感じた。
避難場所に来てから約3時間が経ってから、だんだんと時間潰す方法が無くなってきて雨の音や周りの人の視線が気になり始め、自分の中に精神的ストレスと肉体的疲労が溜まってきた。

唯一避難生活で救いだったことは、スマホが使えて他の人と連絡が取れることで束の間でも精神的なストレスが解消されたことだった。
長時間、車椅子に乗っていると身体が痛くなるので、上の写真のようにビニールシートの上に持参したレジャーシートを敷き、さらにお借りした毛布を敷いて横になっていたが身体のあちこちが痛く感じた
雨風が弱くなってきて自宅へ戻っても大丈夫だと自分で判断し、行きと同じく介護タクシーへ連絡をし避難所だった小学校から自宅まで送ってもらい帰宅したのが深夜0時過ぎだった。

避難生活約12時間を通して感じたこととしては、体育館の中でパーティションなど使い区切られた空間ではないので、無意識でも周囲の人の視線や行動が気になり精神的に負荷がかかった。
そして普段からの介助者との関係性がものすごく大事になってくると思った。その理由としては避難生活をともにしてくれるためこちらも介助者の少しの変化に対し気遣いをし、介助者もこちらに対して気遣いをすることでなるべくストレスがかからないようになるからである。
これからますます地球温暖化が進んで、今回のようなハイパー台風や大地震がいつ来るかわからないと身を以て感じ、ありきたりになってしまうが毎日を一生懸命に生活することが大事だと感じた。

 

 


My Action General producer・Performer Sugiyama.

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