約1ヶ月ぶりとなるブログで、今までこんなに更新する頻度の割合が空いてしまうのは2017年から書き始めて初めてのことになりました。
ポエムもKentaro’s Roomもスタエフもほとんど更新することなく、ただただボーッと過ごして今振り返ると無駄なことをしたという思いと、これは必要な時間だったという思いが半分半分で僕の心を占めています。
責任転嫁するわけでは全くないのですが、今年の花粉の飛んでいる量がとても多くさらに気圧の変動が激しい事が身体へ大きく負担となっていて、そのことに対して心の中では苛つきと焦りが日に日に大きく増していました。
ある時を境目に、もう思う存分休んでからまた制作活動や様々な行動を行なっていけば良いといった考えに切り替わり、昼夜逆転の生活にもなってしまいましたが仕方がないこととポジティブにとらえるようにしていました。
普段であれば介助者といろいろなことについてのコミュニケーションを交わして、頭の回転をもちろんのことですが話すことで全身運動となって代謝が上がることでメンタルも向上されるというのが僕なりの健康法になっています。
それでも、一つ課題があり介助者全員がコミュニケーションが得意というわけではないので相手に合わせることも大切になってくるのが、すごく自分にとって考える上でのポイントになっています。
自分の健康を害してまで相手のことを考えても仕方がないと思ってはいるので、そこにおいては僕がうまくバランスを取る必要があるとも考えています。
この2月中旬から今までの間で触れておかなければいけないことは、ロシアとウクライナ情勢のことです。
僕は世界情勢の専門家ではないので細かい点までは触れない方が良いと思うと同時に、一つだけ確実に言い切れることとしては“どんな理由があっても争いによって人の命が失われることはあってはならない”ということです。
戦争を起こすことで利益が出て儲かる人や企業及び国が存在することは確かなことですが、誰かの涙や血が出ることで儲かるお金よりも誰かの笑顔を作ることで生まれるお金の方がはるかに価値があって多くの人を幸せにできると僕は考えています。
プーチンさんがどのようなシナリオを描いていて、結末にはどんな光景が待っているのかは彼にしか分からないことだと僕は思っていると同時に、ニュースやSNSで流れてくる情報を見ていて、一つの考えに至りました。
それはとてもシンプルなもので、もしかしたらプーチンさんは世界各国のトップと本当は仲良くしたいけれどもその方法が分からずに現在まできてしまって、客観的に見た時にすごく訳の分からない行動をしていると捉えられてしまっているのではないかと僕は考えています。
どこの国や地域に生まれて幸せ不幸せはそこの環境によって変わってくるものだと僕は考えていますが、世界各国のトップや国を支えている企業の考えによってそこに住んでいる人たちの身に危険が及んだり、命が奪われてしまうことは決して許されることではないと僕は心から思っています。
そこで、ウクライナに住んでいる人やロシア国内でも今の戦争に反対している人に僕ができることは何かと考えている毎日ですが、恥ずかしながらまだ何のアイデアも浮かんできていません。
ニュースでは取り上げられないですが、きっとウクライナやロシアにも障害を持った人は住んでいてその人たちは今この争いの中でどうやって過ごしているのか。他の人たちと同じように避難できているのかと不安と疑問が入り混じっています。
以前僕がリリースした曲で、“小さくて広い世界”というものがあります。その曲の歌詞を書いた時はコロナ禍前で単純に世界から見た時に自分という存在はちっぽけだけど、そんな僕でも思ってくれている人がいるという考えのもと制作したものでした。
そして今回のロシアとウクライナ情勢に戻った時に、たまたまかもしれないですがこの“小さくて広い世界”を僕ももう一度聴くと共に皆さんにも聴いてもらえればと思っています。
これ以上、人の命が人の手によって失われないように自分ができることは何か考えて行動に移していきたいと思います。
My Action General producer・Performer Sugiyama.