原動力は…。

気がつけば5月も終わり、「令和」になって早1ヶ月が経とうとして本当に毎日が過ぎていくのが早く感じます。
28日には、神奈川県川崎市登戸で51歳の無職の男性が両手に刃物を持ち、スクールバスを待っていた私立の小学校に通う生徒や周囲の人を刺し殺し、最終的には犯行を行った51歳の男性も自分の首を切りつけ自殺してしまったという事件が起こった。
小学生だけでなく犯行を止めようとした大人にも切り掛かり殺してしまったという非常に悲しいニュースが流れていた。その報道を見ていてネットでは、死ぬのであれば1人で死ねばよい、という意見が上がりそれに対し、そういった発言をすることによってまた同様の事件が起こりかねない、社会は自分に何もしてくれない。という考え方になり追い込む形になってしまうという理由から、、死ぬのであれば1人で死ねばよいなどのネット上での発言は控えるべきという声もある。
僕はこれに対し反対で、かといって他人に迷惑かからない死に方があるとも思わない。
大事なのは、今回や3年前の相模原障害者殺傷事件も同様で、容疑者(犯人)が行動に起こす前に必ず周囲になんらかのシグナルを出していると思うので、それを受けとめて未然に防ぐのが社会にいる僕らの責任だと思います。

25日にはいつも交流させていただいている小学校の運動会があったので応援してきました。
すごく暑い日で、日差しがものすごく強く生徒が座る椅子のスペースには先生が用意した日差しよけのカバーが設置されていました。
そしてものすごくありがたいと思ったのは、「本部」があるテントに「車いすスペース」が設置されていて、恐らく生徒の兄弟であろう車いすを使ったお子さんとそのご両親の横に入らせてもらい、日差しから逃げることができました。
少しの配慮かもしれないが、こちらとしては大きなことで熱中症にならなかったり障害者も学校へ来ているというアピールに繋がると僕は感じました。
お昼ご飯を家族と一緒に食べている生徒から「杉山さ〜ん、来てくれたんですか?!」「お母さん、この人が健太郎さんだよ。」と5メートルくらい進んでは声をかけてもらっての繰り返しでとても嬉しく感じました。

そして、現在交流させてもらっている学年が行う組体操が始まり、それまでは暑さをしのぐためテントや校舎の中で涼んでいましたが、組体操の練習を20日に見学していて出来ばいを見ていたので生徒と同じ環境(炎天下の下)で応援しようと思い、学年の先生が立っていて全体の様子が見れる朝礼台の横にすぐさま僕も移動し見ていました。
練習の時よりも動きが揃っていて中には失敗してしまう子もいましたが、組体操を行う生徒と朝礼台の上にいる先生との間には「熱い絆」がありました。
見ているだけの僕でしたが、途中から胸に熱いものが突き刺さり「アオハル」をひしひしと感じて感動し終わる頃には涙で前が見えませんでした。
生徒にとっては、暑くて嫌だなと思っていた子もいるかもしれませんが、きっと大人になって子供の運動会を見る側になった時に、いろいろな想いが出てくるのではないかと感じました。

そして26日には、八王子市役所のそばの河川敷で毎年行われる「みんなちがってみんないい!」に行ってきました。
このイベントは、八王子に住んでいるいろいろな人(障害の有無、海外から来ている人)が集まり模擬店を出店したり用意されたステージで音楽を披露したりといった内容です。
年に1度開かれていて、前回行ったのは覚えてないくらい前でおそらく20代前半だと思います。久しぶりに行ったせいかイベントの規模が小さくなっていて、以前は仮設トイレがあったのも今回は無くあまり活気付いていませんでした。
これを見て僕は、イベントの告知の仕方、会場の設備が下手だなと思いました。
せっかくイベントの半年前から準備や構想を重ねている(本部の人からの情報)のであれば、例えばTwitterやFacebookなどのSNSを使い告知し、また当日の会場の入り口に模擬店が書かれたマップを設置し、そのマップの中に模擬店を出店しているお店の名前とQRコードをつけることでどういったお店なのか、普段はどこで活動及び営業しているのかがスマホでわかるようにすれば人が集まると思いました。

ただただ、毎年行っているからと半分流れに任せ開催することだけにポイントを置いていては勿体無いし、なによりそこに発生している費用がある以上は開催者サイドもユーザーサイドも楽しまないといけないと僕は感じました。
もちろん、「みんなちがってみんないい!」の実行委員の方に僕でよければ手伝います!とお伝えさせてもらいました。
八王子のイベントはたくさんあるのですが、告知の仕方や魅せ方が下手でせっかく若い人や家族連れが多く住んでいてもなかなか来てもらえていなければ意味がないと思います。
これからは8月に八王子まつりがありますが、どのイベントに関しても作り上げていく過程を見せていった方が、盛り上がりは増すと思います。
要は、本気で盛り上げたいという気持ちが原動力になっているかだと思います。
僕も、歌をはじめラジオ・ポエム・ブログ・Informationなどを行っていますがその原動力になっているのは、これらを見たり聴いたりしてくれている人はもちろん、作っている側の自分が楽しめているかです。
逆に言えば、楽しくなく感じなくなったら全てを続ける意味や意義はそこにはないと思っています。

そして、現在重度訪問介護の時間数を市から744時間支給してもらい生活していますが、以前も書いたように今年の9月いっぱいで653時間に戻されてしまいます。
去年の夏までは職場が91時間を保証していただいていたので、僕が職場に行くことで653時間でも生活が成り立っていました。職場を辞めて一年という約束の元、24時間×31日=744時間を支給されています。
元はといえば仕事を辞めてしまった僕も改善するべきところがあるのは理解していますが、人の人生を市町村の財源を理由に決めないでほしいと僕は主張します。
それともう一つ僕が言いたいのは、ルールだから… 他の方も同じにしないといけなくなるので…、のようなマニュアルに沿った対応をすれば納得するだろうと思っているところに対し、もう少し寄り沿った対応やものの言い方をすれば納得しやすいと感じました。
今こうしてブログに書くことで自分にとってマイナスになるのかもしれないけれど、こういった現実や本音を障害者と関わったことがない人に知ってもらえればと思い書きました。

 

 


My Action General producer・Performer Sugiyama.

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